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これが青春だ

🏃‍♂️私は還暦を、ひとつのゴールだと考えています。
 まずは、満年齢60 歳で、今回の人生は一区切り。

 中学や高校で、毎日机を並べていた友人らが、それぞれ大学を経て社会に出て、まさにひとつのレースを駆け抜け、そして定年というゴールにたどりつく。

 その昔、体育の授業の長距離走やマラソンで、走り終えた時に眺めた景色。

 私のように足に自信があった者。
 そんな私より遥かに速いタイムでゴールした化け物。
 そしてそのあと、何周も遅れてヘロヘロになったりダラダラしたりしながら、とりあえず完走せざるをえなかった友ら。

 ただ、流れる川の水のように、次々と後からゴールする人間を眺めながら「タバコの吸いすぎや」などと茶化したり、頑張ってる奴を励ましたり、笑ったり……。

 そんな他愛無い風景を、なぜだか無性に思い出してしまうのです。

 速くゴールしたからと言っても、先に教室に戻れるわけではなく、また、特段そいつが人間的に偉いわけでもなく……。

 将来の出世や年収や、いい家に住むとか綺麗な嫁さんをもらうとか、世間で一目置かれるとか、どこへ出ても「オッ!」と言われる会社だとか、先生とあがめたてまつられるとか……そんな処世術的な甲乙や損得ばかりにやたらと目を奪われた若年期。

 そういったことが、一度きりの人生において、実はホントにどうでもよくて、何が幸せで何が不幸なのかもまぎらわしく……

 そもそもそれよりも五体健康が一番だが……なかなかこれまで大病を患わなかった者は少なく、さらに離婚や破産、中には手錠腰縄をうたれた者までいるだろうし(笑)、逆に赤い絨毯を踏んだり、大晦日の紅白に出た者さえも……。

 それらが、もう一度学生時代の人間どうしの純粋な価値観に戻れる「可能性」があるのが、還暦の節目なのだと思うのです。

 もちろん、いまの世の中、昔と異なり、60 歳で人生が終わるわけではありません。
 そこからリスタートする人生…本当の意味での、肉体よりも「魂」重視の処世術なら、定年の概念なしに粥をすすりながら、そのままヌルッと還暦の峠の茶屋を横目で通り過ぎた私の方が、ずっとアドバンテージがあるように思えるのです。

 そんな気分でいると、突然、40年間まったく、会話も付き合いも音沙汰もなかった旧友から連絡がありました。 
 あまりに長期の時間が経過していたので、最初は誰だかわからなかったほどでしたが、まさに、1970年代後半から1980年にわたり、驚くべき才能と感性を秘めた人物の本物でした。

 彼が言うには、

 脳梗塞で死にかかり、この世に戻って10 年経って、無性に私の声が聞きたくなり、ネットで検索しまくっていたそうです。

 私のことを、関学中高部、僕らの世代で最大の表現者だとまで言ってくれ、さらに、世代をさかのぼれば、我々の出身校から、稲垣足穂や今東光、団鬼六(全部同学年)らが出ているけど、私は彼ら大御所とは異質なインパクトがあるそうです。

 そうとまで言われれば、もう、いてもたってもいられません。
 
 そもそも私も、昨年末、脳動脈乖離という、脳梗塞の従兄弟みたいな大病を患い、人生観の根本を大きく揺らされたところですから、許された現世の時間的有限さと、過去からつながる魂の無限の快楽に対する価値観が身に染みています。

 光陰も強引に矢の如し。
 来月、無理やりにでも、関東で会うことを決めました。しかも、具体的な詰めまで。

「駅から近くて、タバコが吸える茶店(さてん)で、茶をしばこう」

 日時も、駅も、店も、すべて決まりました。

 これで、私は少なくともあとひと月、
毎朝目覚めた瞬間に、生の意味を満喫し、まさに毎日、希望に満ちたきらめく日常を送れるのです。

 嬉しいな、嬉しいな!

 大昔に流行った、布施明の歌がどこかから聴こえてきます。


「そうとも これが、青春だ〜」。

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