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宇宙と細胞

 昨夜、久しぶりに非常に純度が高いLiveに首まで浸ることができました。
 Liveは、私にとっては、音楽、サウンドより、やはり「歌」ですね。
 よくよく考えれば、私は音より歌を聴いていました。もちろん、ギターも私にとっては「歌」なんです。

 さて、「浸る」……ということは、自分がプロデュースをしたり段取りを組んだりすることなく、もちろんお手伝いはしても、気分的にはお客様のひとりになってLiveを聴ける状況ということです。
 主催者側では具象に気をとられて、うまく浸ることが叶いません。

 いいLiveに身を委ねると、いろんな具象が脳みそのロッカールームに押し込められ、かわりに普段おとなしくしている抽象部隊が、どこからともなくおもちゃのチャチャチャのように箱から飛び出して、やたらと活性化しはじめます。

 結果、次々と脳と肉体で新たな発想や気づきが発生するわけです。
 つまり普段思いつかないことに突然気づくことが多いということです。

 昨夜はふと、自分のカラダの細胞のことが気になりました。

 人間には意識と無意識があります。
 たとえば白血球などは、私がいちいち命じなくても、無意識のうちに生命維持のために、重要な仕事を24時間、休まずにやってくれています。

 私が最高のLiveに浸っているその瞬間も、私の体内の細胞が、働き、戦い、または寿命が尽きて死んでるわけです。

 私がふと感じたのは、この自分の体内至るところの細胞……さらにもっと細かい、原子や量子レベルのものの存在や意識と共感しあえることが、創作……自己表現の肝ではないかということなのでした。

 素粒子レベルまで見つめても、それは私の一部です。
 私は、顔だけでも、脳だけでも、私ですが、それだけではありません。
 手も足も脳の所有物ではなく、爪の先まで、目くそ鼻くそでさえ、私なのです。そしてその細胞はきっと宇宙とつながっているのです。

 私 が宇宙に拡散して同期する前に、あらゆる私と共感して、私というこの端末機から今のうちにそれを表現する……。

 まだつかみかけただけの概念、感覚ですが、まずはリンゴが木から落ちた……これは非常に重要な出来事なのです。

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