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新 天皇論

 今から10年前後前の話です。

 当、私が山口市で責任者をしていた大型店舗に、目つきが悪い一人の黒服がやってきました。
 その男は、私が責任者だとわかると上着の内ポケットからサッと黒い手帳を出しました。それは警察手帳でした。

 山口署では見たことがない顔だし、まして一人で来るのも怪しい。

「どこの刑事さんでっか?」と聞く私に、彼は「広島県警です」と答えました。
 話を聞いて納得しました。要は応援部隊やったわけです。

 何の応援か?  
 それは数日後に山口維新公園で行われる植樹祭か何かで、皇太子殿下が来られて、そのあと私の店の前を車で通るので、警備の下見をするのが目的だったのです。

 普段使っていない什器の裏側を中心に、店内から道路が見える窓をすべてチェックし、さらに屋上に案内させられました。

 そこで、 

「さっきの窓が気になるので、当日、店内に何人か仕込ませてください」と、私に言うので、それを快諾した上で、

「屋上はええんですか?  私がもしもテロリストなら、この屋上のあの給水塔の陰から狙撃しますけどね」と、忠告すると、刑事はニヤッと笑い、

「大丈夫です。当日屋上はヘリから監視しますから」と、自慢げに言いました。

 さて、その後地上に戻ると、店の前の歩道に置いてある宣伝用の旗を撤去して欲しい。まあ、旗は簡単ですがその土台の石も一時的に撤去して欲しいとダダをこねるので、私はスタッフを数名集め、渋々それに従いました。

 そして一週間後の当日。

 自分の店の前で何かあったらかなわんので、事前に刑事から聞いていた通過予定時刻に、私は店の前に立って、周囲に気を配って自主警備をしていました。

 警察が規制をしたのでしょう。道路から急に一般車両が姿を消し、数台のパトカーがつゆ払いのように通り過ぎたあと、ゆっくりと黒いセンチュリーが近づいてきました。
 歩道では何人かの人が小さな日の丸の旗を振っていました。

 そのセンチュリーがなぜか、タクシーが客を拾うように、私の目の前で停車したのです。

 私はびっくりしました。信号も何もないとこですから……。
 そもそも皇室移動のさいは秒単位で当局が把握しているはずなのに……。

 後部座席の左側。つまり助手席の後ろになりますが、そこにテレビや新聞で重々知っている、まさにその方が乗っていました。実は私と同い年なのです。

 私はふと、

「このセンチュリーの窓ガラスは、きっと防弾ガラスなんやろな」と、どうでもいいことを考えました。

 するとその時、わずか50センチほどの距離で、窓ガラス越しに皇太子殿下と目があったのです。

 そんな距離で目があうと、いくら行儀が悪い私でも知らん顔はできません。かといって、ヘラヘラと愛想笑いをするのも、なんか自分の生き方とは違うので、私は相手の目を見つめたまま、小さく顎をひいて頭を前に傾けうなずき、さらに自分の口元を少し緩めて、極めて人間的な会釈をしました。

 その時なんと! 歴史が動いた……いや、パワーウインドウが動いたのです。

 私が勝手に防弾ガラスやと思っていたガラス窓がスーっと下に降りたのです。皇太子殿下が左手の指先でスイッチを押したとしか思えません。

 目と目の無言の会話がなされ、5秒ほど経って、また窓はあがり、センチュリーは再びゆっくりと前進して湯田温泉方面へ立ち去りました。おそらく定宿であるニュータナカホテルに向かったのだと思います。

 その時の私の感想。

 同い年やという親近感もありますが、別段皇室に対して、敬意こそあれ憧れや興味など今まで一度も感じたことも気にしたこともなかったのですが、正直、

「ええ人間に違いない」というのが実感でした。

 さらに言えば、育ちを考えたら当たり前かもしれませんが、汚れていない、「きれいな生き方」をしてきた人間独特のオーラを感じたのです。私とは大違いの……。

 左に寄った人が聞いたら発狂するかもしれませんが、これが不良の私の正直な感想だったのですから仕方がありません。

「なるほど、これが皇室が持ってる独特の摩訶不思議なパワーなのか?」

 私は今になって思うのです。 

 皇太子殿下……すでに現在の天皇陛下は、

「次の元号で待ってますよ」と、私にメッセージを送ってくれたのではないだろうかと。

 ただ単に、知ってる誰かと私を勘違いしただけかもしれませんが……。

 あれから10年が経過し、令和というほんとに新しい元号に突入しました。そして、その50センチで見つめあった人物が、国の象徴の地位についたのです。

 私がこの元号下で「ゲン」を担ぎたくなるのも、みなさんに十分ご理解いただけたであろうと信じています。

 この時期に、思想や主義主張で目くじらを立てて天皇制を批判するのは、ちょっと違う気がします。

 どちらへも傾き過ぎず、もっとお互い、おだやかに文化を見直し、受け入れる懐の深さ、広さが必要ではないでしょうか。

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