大人の寺子屋 朝鮮戦争①
『オトナの寺子屋 シリーズ
クローズアップ 世界史』
学校でも教えてないので、今の若い人は特にご存知ないでしょうが、
私が生まれる10年前の、1950年から53年にかけて、今なにかと話題の朝鮮半島で、血みどろの戦いが繰り広げられたのです。
そのことを知らずに、北のミサイルの話なんか、とうていできんでしょ?
かと言って、恥ずかしくて今さら誰かに教えてもらえないし、まともな文献は、難しすぎます。
そこで重宝されるのが、このオトナの寺子屋シリーズ。
今回は、いわゆる『朝鮮戦争』です。
この戦争とは、「北朝鮮軍+中国の人民志願軍 」VS 「アメリカをボスとする国連軍」のドンバチを言います。
要は、西側諸国と共産主義国家との戦いといっても過言ではありません。
トータルで20カ国から参加した、100万人近い兵士が、日本の近所で、極めて激しい攻防戦を展開したのです。
その舞台となったのが朝鮮半島ですから、そら住人からすれば、悲惨な運命としか良いようがありません。
世界史を語る時は特に、思想の左右や、感情的な好き嫌いは完全に封印して、まずは、同じ人類、生きている人間としての視点を据え、そして、常に当事者らの立場を想像せねばなりません。
今から思えば、朝鮮戦争は、冷戦時代における最初の大規模な衝突だったと言えます。
原爆を落とされた日本人が、なんとか平和に馴染んできた時に、すぐ眼と鼻の先の半島で起きた朝鮮戦争は、実は日本の経済の復興に、大いに追い風となりました。
そら、半島の人からすれば、腹がたつと思います。踏んだり蹴ったり、自分の国がめちゃくちゃに荒らされる上に、世界でもっとも嫌いな国である日本が、戦争景気で潤ったのですから……。
アメリカ主導のこの戦いは、地上戦にとどまらず、空中では史上初めてのジェット戦闘機同士の対決が実現しました。
後押しするアメリカとソ連が、膨大な兵士と武器を投入した結果、イデオロギーの戦いが激化し、第三次世界大戦をひきおこす恐れをともなうものとなりました。
さて、なぜ、そうなってしまったのか?
時代は、朝鮮戦争がおこるさらに5年前にさかのぼります。
第二次大戦の最終の時期です。
このあたりの歴史は、日本人も、よく知ってるはずです。
1945年8月6日、アメリカは広島に原子爆弾を投下し、さらに3日後には、長崎にも投下、第二次世界大戦における日本の敗北は、この時点でほぼ決定的になりました。
広島に原爆が落とされたわずか2日後、つまり、長崎の前の日、ソビエト共産党書記長のスターリンは、日本に宣戦布告しました。
「どんなけ汚いねん! 」
このあたりが、いまだにロシアが国際社会で、アメリカとは別の意味で嫌われる理由です。
連合国にそれまでさんざん対日参戦を求められていたスターリンは、日本の敗戦が確実になったのを見て、とたんに戦勝国としての分け前を逃すまいと立ち上がったのです。
1945年8月9日、ソビエト軍は、大陸で猛攻撃を開始、ソビエト軍 180万人が、満州…今の中国東北部で、暴れたおしました。
ソビエト軍は、主力部隊が満州内部に進行する一方で、朝鮮半島を、1万5千人の兵が南下しました。
この勢いに対し、アメリカのトルーマン大統領は、スターリンに、日本の降伏を前提に、ある提案をしました。
そこが重要なこと。
それは、【北緯38度線から北をソビエトが、南をアメリカが占領する】と言うものでした。
境界線の北側には、日本がつくった工場や発電所などの産業施設が集中していたことから、スターリンは、得をすると考え、協定をうけいれます。
そしてソ連軍は、38度線で南下を止めたのでした。
1945年8月15日、筋書きどおり、日本はついに降伏します。
日本軍は、武器を連合軍に引き渡しましたが、朝鮮北部では、38度線より北を占領したソ連軍が、日本軍の武装解除に当たりました。
ここまでが、朝鮮戦争に至る、前段階です。
つづく
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