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エッセイ きく問答

 音楽関係の打ち合わせがひと段落したあとの雑談で、ふと先方……穐本氏が私に言った。

「最近の人は音楽をきいても、きくということをせんでしょ?」

 これでは意味が通じないと悟ったのであろう、すぐにこう付け加えた。

「門の中に耳を書く《聞く》と、耳の横に十四の心と書く《聴く》の違いですよ」

 たしかにそれは、なかなか鋭い指摘である。

 私のように、曲がりなりにも日頃から歌や文章を書く者にとっての《聞く》は、身体の器官としての《耳》から、自然と脳を通じて体内にとりこまれるようなケースに使用する《言葉》という感が強い。

 かたや《聴く》と書いた場合は《聞く》と比べ、より注意深く脳の方向をそちらに向けて……平たく言うと、詳しく聞こうという意思で身をいれて聞くというニュアンスを原稿用紙に翻訳するときに、あえて私は《聴く》を選択している。

 たとえばビアガーデンで枝豆をくいながら「カンパ〜イ」などというときに演奏されている生バンドは、そっくりそのまま「聞く」に分類される。

 他者が歌うカラオケも間違いなく「聞く」である。

 正直に言うと無視していることがほとんどだが……。

 これと対極に、飲食禁止のコンサートホールでアコースティックの演奏をきくのが《聴く》の代表格であろう。

 音楽……生演奏でも録音物でも、それを「聞こう」が「聴こう」が人それぞれの自由だし、その時々にその人が置かれている状況にも大きく左右される。
 疲れている時に、塩分がより美味しく感じるのと似ている。

 けれども昨今たしかに、《聴く》ということが少なくなったのは、ひしひしと実感できる。でも他人事ではない。私も含めてだからタチが悪いのだ。

 この《聴くと聞くの問答》をきっかけにして自分を再確認し、多々思うところがあり、自らの生活スタイルを一部思い切って改善することにした。
 
 毎朝必ず、まあ特別に早起きした日は朝食前、それ以外は父親をディサービスに送り出したあと、離れの音楽室のソファーに本を持たずに腰を据えて、ジャズのレコードを最低一枚、そこそこ派手な音量で《聴く》のである。

 都会では決して真似の出来ない荒技である。

 ちなみにひとつだけ、その時点では意味もなくこだわったことがあった。

 せっかくだから、CDではなくアナログ、いわゆるLPレコードを聴くことにしたのである。

 すると初日1回のオモテで早くもあることに気付いた、というか思い出した。いや、思い出さずにはいられなかった。

 レコードは途中で裏返さなければならなかったのだった。

 直径30センチほどのLPレコードからわずか12センチほどのCDに変わったのがだいたい1984年初頭からで、その年末あたりの時点では、CDの発売枚数はレコードのわずか10分の1だったにもかかわらず、そのほんの2年後で主従が逆転した。

 そしてそのまま新たなレコードの生産はほとんどなくなり、レコード針などの関連企業も軒並み潰滅した。

 それが私が25歳の頃である。

 その頃まだ《聴き手》であった人々にとっての最も大きな変化は、A面とB面という設定が消え、その感覚が消滅したことだったに違いない。

 CDはレコードとちがい、裏返す必要がない。
 たしかにこれは面倒な作業が省略され、特に演奏時間が長いクラシック音楽やライブ盤などの場合は、中断して興ざめすることがなくなったのはかなりのメリットになった。

 しかし今になって私は気付いたのだ。

 レコードの片面、時間にしておよそ15分から25分くらいが、集中して《聴く》には、最も適した時間だったのだということに……。

 そしてCDをきくようになってから、知らないうちに、私の《聴く》は、《聞く》へと薄まっていったにちがいない。

《聴くと聞くの問答》をさらに、録音物から生身の人間に向けてみる。
 
 もう10年ほど前のことだが、仕事でベトナムのホーチミンに行った。

 ホーチミンというのは、このあたりで言うところの《小郡》に対する《新山口》のような呼び名で、少し前までは《サイゴン》と呼ばれた街である。

 世界史では《サイゴン陥落》が有名である。
 あの世界の極悪偽善汚職警察たるアメリカが、20世紀に、自分が仕掛けた暴力戦争であったにもかかわらず尻尾を巻いて逃げたのである。しかも、季節外れのホワイトクリスマスの旋律に乗って……。

 そういうこともあり、当時の私にとってベトナムはアジアの星であった。
 日本人の仇を討ってくれたという思いもあった。

 ある晩、どこかの国の大使館跡を利用した超高級フランス料理店のフルコースを、日本人3人と通訳のベトナム人1人で食べることになった。

 中庭に面したテラスでゆったりとくつろいでいると、料理と共に若い生バンドが入ってきて、我々の食卓のすぐそばで演奏を始めた。

 メンバーは女性3人、バイオリンと、あと正確な構成は忘れたが、いわゆる弦楽アンサンブルだった。

 我々が日本人なのを知っているからであろう、瀧廉太郎や昭和歌謡などを譜面を見ながら丁寧に演奏してくれたのである。

 私はテーブルでの仕事仲間との会話を中断し、椅子をバンドの方に向けて、正面から演奏をきちんと、《聞く》のではなく、《聴》いた。

 20分ほどの演奏が終われば、丁寧な拍手をして英語で礼を言った。
 それから店のマネージャーに「いい演奏だった」と通訳を介して言うと、彼女たちは普段は大学で音楽を専攻している子だということがわかった。
 今日の演奏は練習を兼ねたアルバイトらしい。

 マネージャーは、店からきちんとバイト代を支払っているからチップは不要だと、わざわざ念を押した。
 高級店のプライドを示したかったのかもしれない。
 まあそのバイト代も、私たちが支払うお金から出るのだが……。

 ちなみに当時のレートで、最高級フランス料理フルコースが、日本円で1人あたり3千円弱。日本だといくら安くても、1万5千円くらいはとられる内容だった。

 私は、チップのような……そんな俗っぽいつもりで言ったのではなかったのだが……とにかく、仕事だとはいえ私らのために心をこめて演奏してくれたベトナム人ミュージシャンに対し、素直に感謝の気持ちを伝えたかったのだった。

 当時の私は今よりもずっと頭がおかしかったのか、魔がさしたのか、自分を知らなさすぎたのか、何故かいっぱしの経営者を気取っていた。

 私にとっては、それは人生そのものを大きく勘違いしていた恥ずべき時期であり、もちろん今ほどは音楽に足をつっこんでいなかった。
 仕事以外にそんな余裕も時間もなかったからである。

 しかしそれだからこそ余計に、個々の音楽や人間には、その場その場で精一杯、自分の心の焦点をあわせて接するように心がけていた。

 あとになって"そこ"が極めて重要だったことに気付いた。
 
 山口にもたくさんの経営者が居て様々な団体があり、各々ホテルなどで頻繁にセミナーや勉強会を開いたり、講師を招いたり、交流を深めたり、それなりに前向きに純粋に頑張っているようである。

 けれども一番大事な事を忘れて、ビジネスの欲やお金や成長、成功や安物の充実感だけを追いかけてはいないだろうか。

 経営者の多くが陥る罠がそこにあるのだ。

 忘れてはならない重要なことは、立場は異なれども、その場に《生きた人間》が居るということである。

 ホテルの玄関の係も、ポーターも、フロントも、会場係も、厨房スタッフも……そして、イベントに出る人間も、音響も、タクシーの運転手も……。

 人間の生き方や魂には優劣があるが、どんな職業にも貴賎の差はない。 
 これは決して、形だけのお題目ではないのだ。

 以前少し話題になった、京都祇園の舞妓さんが書いた教訓本にあったネタを思い出した。

「星の数ほどの経営者に接してきて、お造りのツマを、手付かずで残して魚だけを食べる人は、決してビジネスの世界で登りつめることがない」と。

 目先の主役だけが目にはいり、脇役には一切気がまわらない人は駄目だということである。

 本田宗一郎も井深大も、刺身のツマに手をつけないことはなかったそうである。しかもそれは、おそらく無意識の自然な行為だったらしい。

 近年、私自身はビジネスからとっくに足を洗っているのだが、何かと呼ばれて、経営者たちの集まりに顔を出すことがある。そして毎回思う。

 せっかく魑魅魍魎の類の守銭奴の絶対数が極端に少ない山口に居るのだから、もっと個々が、落ち着いて中身のある人間力を蓄えるべきだろうと。

 人間力の基本は、あらゆる他者に接する、24時間本音の姿勢から始まると思う。

 そしてそれはまさしく、《聞く》と《聴く》の違いに気付くことでもあるのだ。 了

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