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天罰

2020年4月20日

 カタギの人は特に足元を見ながら歩く習性がありますが、平時はそれが石橋を叩いて渡ることにもつながり、堅実という表現とともに安定した人生を送りきることに役立つのですが……
 ひとたび世の中が今回のように荒れると事情はガラリと変わります。

 そういう時には、足元…一歩先…という、クローズアップ現代した視野ではなく、ここに至るまでの歴史を、思いっきりカメラを引いて、その大きな流れ……特に「時代のうねり」の意味を大胆に大雑把につかまねばなりません。

 つまり時代が荒れた時には具象よりも抽象力がグッと必要になるわけです。そこにいわゆるアーティストと呼ばれるクリエイターの存在感が際立つのです。分野としては映画や文学や美術や音楽etc……に関わる人々。
 あくまで、世の中の流れより自分自身や人間そのものに注視してきた人たちですが……。

 アメリカの音楽が急成長したエネルギー源の重要な核がベトナム戦争だったことは、多くの人が理解していると思います。

 さて今、我々日本人がこの歴史の流れ、運命をどう受け取るべきなのか?

 まず多くの人に同意を得られやすいことは、この騒動・事態が一つの分岐点になり、それ以前と以後とで世の中の価値観や存在感などにおいて、様々な変化が生じるだろうということでしょう。

 でも実はそのことは、それこそ具体的なお金儲けをあとまわしにして食えない抽象を追いかけ続け、五感六感で糊口どころか霞を食って底辺を這うように生きてきた人間たちのあいだでは、ずっと前からあたりまえのように語られていたことなのです。

 一例をあげると、芥川龍之介が、将来に対する漠然とした不安を理由に自殺したのが昭和2年で、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した、いわゆる柳条湖事件が起きるわずか四年前でした。まあ、芥川は物書きとしては十分成功していましたが……。

 前置きはこれぐらいにして、

 結論を言うと、今回の日本、ひいては世界、さらに中国の状況は、実はまぎれもない【天罰】なのです。

 その分析方法の詳細は割愛し、理由を述べます。

 中共はモロ当事者で主犯なのですが、他の国の大罪は、金に目が眩みヤバイとわかっていながら人間としての一線をはるかに超えた中共…チベットやウイグル、法輪功や臓器販売…における鬼畜にも劣る行為を、長期間容認し続けたことです。そんなことをいつまでも、神が許すはずがありません。

 本当は、日本はもう少し被害…天罰が少なかったはずなのですが、神の逆鱗に触れたのは、習近平を国賓扱いで呼ぼうとした…いや実際にはすでに呼んだことです。

 さすがにこれに関しては、世界中のあらゆる神に対し、いくら日本太古からの「やおよろずの神」が嘆願しても、とうていかばいきれるものではありませんでした。

 よってこの習近平国賓扱いという政治的判断が、日本国に多大な損失を与えたことになります。

 もちろん、まがりなりにも、議会制民主主義の名のもので選ばれた国のリーダーですから、たとえ多くの国民の意に反して嫌われ者になったとしても、自らが信じる誠実で正しい選択をするのは、それは百歩譲って許せます。

 でもコレはあきません。

 多くの知識人…さらに総理に近い人でさえ、習近平の国賓扱いは、後世に至るまで民族の致命的な恥になると反対しました。

 まさに日本はヒトラーやムッソリーニと組んだ過ちを再現しようとしたわけです。

 それでも、誰があの時点で習近平の国賓としての来日を、天の意思をくんで強制的に止めることができたでしょうか?

 結局それが出来たのは、まさに人智を超えた力だったのです。

 アベボンじたいは単なる世間知らずのスカタンですが、仮にも一国の総理としてのアベボンはスカタンでは済みません。

 過去のいかなる総理も踏まなかった地雷…つまり、神の意思の作動…天罰の喚起、誘導をやっちゃった、大失策は、もはや辞任して済む話ではなく、やはり先達にならい自決するしかないでしょう。乃木希典のように。
 皇居に向かってか、国民に向かっては、総理にお任せします。
 もちろん、美しい日本の神社の狛犬の心たる犬顔の妻も、仲良く運命を共にするのが、さらに美しい日本の形を内外に示すための必須要件です。

 私も、さすがにここまで過激なことを言うつもりはありませんでしたが、アベノマスクで最後の一社を公表しない姿を見て、ついに堪忍袋のおがきれました。

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