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エッセイ ナガサキ

 前後の状況は割愛させてもらうが、今日の午後、小郡(山口市)のとある商業施設内にあるバス停で、見知らぬお爺さんと、ちょっとした、心あたたまるコミニケーションがあった。

 最初は、

「昼間は暑いけど、朝方は、まだ寒いなあ」と、声をかけられたところから始まった。

 そして、ベンチに腰掛けながら、

「この歳まで生きてると、もう、いつ死んでもええと思えるから不思議なもんや、知り合いとかは、みんなもう、ほとんど先に逝ってしもうたしな、いつのまにか、誰も友達おらんようになってしもうた」

「まあまあ、そんな弱気なことをおっしゃらずに、せっかくええ天気やねんから、この先も長生きしてください」

「ワシ、もう90やで」

「そうですのん? 正直、ぜんぜんそんなお年に見えませんよ……ウチの親父が生きてたら、87ですから、お父さんは親父より3つ上やから、昭和5年生まれですか?」

「そうや、午(うま)年や」

「ずっと山口におられたんですか?」

「戦争中は、長崎におったんやわ」

「戦争中…って……」

「ワシ、特別航空隊におったんやわ」

「特別航空隊って…ほんならお父さん、特攻帰りなんですか?」

「あんた、ようそんなことを知ってるなあ、若いのに…ワシ今まで、この話を人にして、すぐに特攻帰りやと言われたことは、一回もないで」

「そやけど、ウチの親父のたった3年上で、兵隊に行きはったんですか?」

「ワシ、少年航空兵やったんや」

「ウチの死んだ親父が、ずっと死ぬまで…少年航空兵になってラバウルに行きたかったのに、ほんの数年生まれるのが遅かった、ゆうて、嘆いてましたわ」

「そら、あの当時、少年航空兵ゆうたら、男の子やったらみんな憧れた、花形中の花形の、超エリートやったからな」

「へ〜 それを聞いたら、ウチの親父の気持ちも、まんざらわからんでもないですわ、ずっと、同年代でも、親父ひとりだけが、変人やと思ってましたから」

「少年航空兵はな、15歳からなれたんや…今はな、もうたいしたことないけどな、山中(やまちゅう…※おそらく"山口中学"だと推測される)から少年航空兵やゆうだけで、そらもう、大したもんやったんや」

「それで、長崎は、大村飛行場ですか」

「そのとおりや、兄ちゃん、ホンマに詳しいなあ…もしかしたら学者か?」

「ちゃいますけど……それで、原爆は大丈夫やったんですか?」

「市の中心部からはだいぶ離れてたからな、けど、空は見えたで…海軍病院に大勢運ばれてきよってなぁ…かわいそうになあ…」

「…………ほんまですね、人間のすることやないですもんね」

「あの日、ホンマは大村にはぎょうさん飛行機あったんや、ゼロ戦も、紫電改も…それが、たまたまやな…あの時、目と鼻の先の長崎に、何機か、哨戒戦闘機があがってさえいたら、長崎には落とせんかったやろな、それが悔やまれてなあ」

「たしかあの時は、B 29が、寸前に小倉から長崎に目標を変えたんですよね」

「小倉界隈が前の日から空爆されててな、その煙で、視界が悪かったんや、真っ黒な煙でな、たぶん油が燃えてたんやろな」

「でも、当時はお父さん、まだ15歳やったわけでしょ? そんな責任感じることありませんやん」

「そうかもしれんな……それでも、少年航空兵で山中(やまちゅう)やゆうこともあって、山口に戻ってから、胸張って、じゅうぶんにええめをさせてもろうたけどな、ずっと長いあいだ、県庁で世話になって……」

「あっ、バス来ましたで」

「ほんまやな、よっこらしょっと……あかん、立たれへんがな」

 そこに、小さい小さいバスが目の前に到着。

「ほれ、お父さん、ワシの肩につかまって、せいのっ、うんゆ」(西濃運輸のギャグ)。

「おかしいぞ…ワシの杖が、どこ行ったんやろ?」

「杖なんか、持ってはりませんでしたで、どこぞに忘れてきはったんとちゃいますか?」

「そや、杖とちゃう、傘や、傘。傘を杖にしてたんや、思い出した、あそこのスーパーの入り口あたりや、そこに忘れたんや」

「お父さん、どんな傘ですか?」

「黄色い傘やから、すぐにわかるわ」

 そこで私が、およそ50メートルをダッシュ! 
 すると、一台の買い物カートに、黄色い傘が1本、引っかかっていた。

「これに間違いない」

 それを持って、またダッシュでバス停に戻ると、バスの運転手が、ちょっと苛つきながら待ってくれていた。年寄りのために、ステップのところに、わざわざ踏み台を用意して……。

「いやあ、助かったわ、この傘がなかったら、バス降りても、家まで歩かれへん」

「お父さん、ほんなら、スーパー出て、傘なしで、ようここまで歩けましたな?」

「ほんまやな、どないしてここまで辿りついたのか、ぜんぜん覚えてないわ」

「少年航空兵のことは、よう覚えてはるのにねえ」

「えっ? そんな話、なんで兄ちゃんが知ってるんや?」

「出た!」

「なんでや? なんでや?」

 その質問を断ち切るように、運転手が手動でバスの扉を閉めたのだった。

 帰ったら、父の遺影に報告しよう。
 
 きっと、

「ホンマかえ!?」と言って、目を輝かせて私の話を聞くに違いない。

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