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大人の寺子屋 朝鮮戦争②

『オトナの寺子屋 シリーズ』
クローズアップ 世界史
★ 朝鮮戦争 Vol 2

 敗戦した日本にかわって、朝鮮半島の南部を占領するために、アメリカ軍の第一陣が到着しました。

 そのタイミングで、さすが露スケ、怪しい動きがみえてきました。

 ソビエトが北部の占領軍を12万人に増強し、南部との交通を遮断し始めたのです。

 当然、南部は動乱の気配を強く感じます。 

 ところが、アメリカ軍はワシントンから、朝鮮の統治については、なんら明確な指示を受けていませんでしたから、しばらくのあいだは、何もできないままでした。

 そんな中、朝鮮半島南部では、国家の統一と独立を望む声が高まり、200を超える非常識な数の政党がひしめきあいながら、権力抗争を展開し始めたのです。

 右派左派中道派が、まさに骨肉の争いをする中で、インフレと失業率が急上昇。一般人は、えらい災難です。

 その上に、ソ連軍が占領した朝鮮北部からの難民が南に流入し始め、朝鮮半島南部は大パニックに陥りました。

 1945年の暮れになっても、朝鮮半島は、ソビエトとアメリカの境界線で分断されたままでした。

 半島の今後をめぐる話し合いも、ソビエトが政治的な好みで、様々な政党を選挙から閉め出すように主張したことから決裂していました。

 同じ頃、朝鮮半島の南部を主導することになる人物が、亡命先のアメリカから帰国しました。

 その人物は、徹底した反共主義者として知られた、李承晩(イスンマン)でした。

 李承晩が、朝鮮の即時統一と独立を求める活動で、権力の足場を固めていた頃、ソビエトは着々と北部を共産主義国家に変えつつありました。

 北では、人民委員会の組織を通して、朝鮮労働党が人々の生活を管理していたのです。

 そして、知らんうちに、ソビエトが後押しする指導者も出来上がっていたのです。

 それが、30代半ばの金日成です。

 つまり、今の黒電話ヘアーの金正恩の祖父であり、金正日の父親です。

 かつて、嘘でも抗日闘争の勇士とされ、その後ソ連軍の朝鮮軍部隊を率いていた金日成は、ソビエトにとって理想的な人物でした。

 彼は長年、ソ連軍で革命指導者としての訓練を受け、朝鮮の統一と共産主義国家の建設に全力を傾けていたのは事実でしたから。

 1946年、アメリカのトルーマン大統領……こいつもルーズベルトと同様に、たいがい悪い……は、ソビエトによる東ヨーロッパの共産化を苦々しい思いで見ていました。

 スターリンは、ポーランドやルーマニア、そしてブルガリアに共産主義政権を打ち立て、ギリシャの共産ゲリラも支援していました。

 この頃の共産主義には、シャレにならない勢いがあったのです。

 一方朝鮮半島では、互いの敵意と不信感の高まりから、米ソの話し合いが暗礁に乗り上げていました。

 1946年秋、朝鮮南部で、ストライキとデモの嵐が吹き荒れました。

 南部が独自に政府を作って混乱を収めない限り、このままでは共産主義勢力が一気に拡大すると見たアメリカは、朝鮮問題を国連に提起することにしました。

 国連総会は、ソビエトと北部の抗議を押しきり、朝鮮全土の統一選挙を求めるアメリカの提案を後押ししました。

 北部は提案を拒否し、選挙は、1948年5月、南部だけで行われました。

 選挙の結果、右派が過半数の議席をしめ、李承晩を初代大統領とする大韓民国が、ここに成立したのです。

 大韓民国には、すでに軍隊の先駆けと言える南朝鮮警備隊がありました。

 それはアメリカの指導のもと、北からの侵略行為を阻止する目的で作られ、教育された組織でした。

 内戦のお膳立てをしたあと、韓国に駐留していたアメリカ軍は、1949年半ばには全て撤退します。

 このあたりが、日本と事情が異なるところなのです。

 日本は敗戦後、軍隊をとりあげられたかわりに、米軍がずっとそのあとも駐留し続けましたから、ソビエトが北海道を狙っていたとはいえ、そもそも内部での分断の危険性は少なかったにもかかわらず、米軍が長期占領したことは、治安の維持と平和の回復には、抜群に効果的でした。

 朝鮮半島の歴史的な不幸は、あとから見れば、こういうところ……日本との差……にも理由があるように思えます。ツイてないんです。

 そうして韓国が独立を果たした3週間後、北ではソビエトの支援を受けた金日成が、朝鮮民主主義人民共和国の成立を宣言しました。

 北朝鮮は、韓国と比較にならないほどの、既に整備された巨大な軍隊を持っていました。

 北朝鮮の共産党支配が安定した1948年末、ソ連軍も、南のアメリカ同様に撤退しましたが、残された大量の武器や輸送車両は、そのまま北朝鮮人民軍に引き継がれたのでした。

 そんな中、さらに歴史は動きます。

 1949年10月、中国に、アジアで2番目の共産主義国家が誕生したのです。

 毛沢東率いる人民解放軍は、アメリカの支援を受けた蒋介石の国民党を台湾に追いやり、長く続いた内戦に終止符を打ち、首都北京で、中華人民共和国の成立を宣言したのです。いや、後世から見れば、してしまったのです。

 これは全世界の共産主義者にとって、まさしく歴史的感動の瞬間でした。

 毛沢東の勝利は北朝鮮の指導者たちを、がぜん活気付けました。

 金日成の欲が高まります。彼にとっての共産主義の次なる思い込みの使命は、朝鮮半島で自らが勝利を収めることに他なりませんでした。

 短期間での南北統一に野心を燃やした金日成は、韓国政府の足元を一気に崩そうともくろみます。

 こうして、民族同士の権力闘争と米ソの思惑が複雑に絡み合い、それがさらに増幅して、朝鮮半島は、ズルズルと、最悪の泥沼……朝鮮戦争の舞台となっていくのでした。  つづく。

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