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エッセイ 奇術師と呼ばれた男

 奇術師を新山口駅まで迎えに行った。

 奇術師は手品師と呼ばれることをなんとなく嫌がる。
 
「お待たせしました」

 奇術師が礼儀正しく挨拶をして車に乗り込んできた。

 車のハンドルを握るのはミュージシャンである。日本では珍しいシタールという楽器を弾く。シタールはビートルズのジョージハリソンが有名にしたインド楽器である。

 そのシタール弾きに奇術師が話しかける。

「煙草が、やめられなくてねえ」

 シタール弾きが笑顔を含ませながら答える。

「ボクは、煙草は、やめない主義だから」

 それを聞いて安心したのか、奇術師が煙草ネタを続ける。

「煙草代がかさむんで、最近巻き煙草にかえたんですよ。そうしたら煙草代が十分の一になりましたよ。いちいち紙を巻く必要があって、その手間で吸う本数が減るのもその理由ですが、何より煙草の味がおいしいので一本一本の満足度がまるで違うんです。いやあ、とにかく経済的です」

 私はそこで奇術師に横槍を入れた。

「煙草くらい、マジックでポン!と出せばいいじゃないですか、帽子の中からでも」

 奇術師は真顔で答えた。

「ポン!と出すには、その前に自分でまず買って仕込まねばならんじゃないですか」

「えっ? そうなんですか? ポンポンといくらでも沸いて出るんじゃないんですか?」

「そりゃあ、なんとでも出せますけど……出せば出すほど自分の出費がかさむだけですからねえ」

 車内が一斉に笑った。

 今回の企画は《魔法》がテーマである。シタールの演奏とマジックショーという組み合わせの変なライブをやる。インド楽器の不思議なサウンドとマジックをどう組み合わせて演出するかが重要である。

 奇術といえば少し仰々しいが、平たくいえば手品である。と言っても手品にも実はいくつかの種類がある。

 何百人もの観客を相手にする《ステージ・マジック》。30〜40人くらいを相手にする《サロン・マジック》。そして目の前の数人に対して行う《クロース・アップ・マジック》などである。

 奇術師が得意とするのは《クロース・アップ・マジック》である。

 このマジックの醍醐味は、目の前数十センチ、鼻先数センチで、摩訶不思議な現象が起こることである。

 多くの人は、手品をテレビで見たことはあっても、プロの技を生で、しかも目の前で見たことはあまりない。
 であるから、今までテレビで見て知っているつもりの手品であっても、生で見ると決まって異様に興奮して、そのあと決まって感動するのである。
 感動は常に個人にとってはかなりダイナミックな記憶として残るから気持ちが良い。

 そもそもマジックは、人間の錯覚や思い込みを巧みに利用して、実際には極めて合理的な原理を用いているにもかかわらず、あたかも超能力を使ったかのように信じ込ませるいわゆる騙しの一種であるのだが、そんなことはわかっていてもやはり心の底から驚かされてしまうからおもしろい。

 一節によると、奇術には4千年以上の歴史があるとされる。
 エジプトの壁画に《カップとボール》という単純な奇術の描写が残っているとされるからだ。

 この奇術は、カップの中にボールが入っているか否かとか、どのカップに入っているか、などを客に当てさせるマジックで、客が答えてから隠し持ったボールで結果をつくるので何度やっても客の答えは当たらない仕組みになっている。

 しかしこの単純なマジックが、今のこの時代にも堂々と通用するというから驚きである。
 シンプルで完成されたものがいかに普遍的であるかということの証左にほかならない。

 奇術師はそう客に説明しながら、4千年前の奇術を再現して、タネを明かす。

 ついさっき見事に騙されたばかりの客が、あまりに単純な仕掛けにあきれかえって納得安堵したあとに、今度はどう考えてもタネがわからない現象が目の前で、奇術師によってポンとまき起こるのである。
 
《シタールとマジックショー》と前触れをすると、多くの人がインド楽器のシタールには興味を示したものの、かたやマジックの方は小馬鹿にする風潮が濃かった。

「マジックはどうでもいい」とはっきり口にした人も居た。

 それにもかかわらず、結局は皆コロリとマジックの虜になってしまったのである。

《クロース・アップ・マジック》は他にも、トランプカードや、コインやスプーンなどの小物を使うものも多々ある。
 もちろん奇術師はプロだから、それらの多くを見事にマスターしているのだ。
 
 奇術師は、しばらく私の家に逗留した。
 夜遅く私が小用に立つと、奇術師が寝ている部屋から障子越しに「チャリン、チャリン」と、お金を数える音がする。

 私は中を覗きたい衝動に駆られたが、ふと《鶴の恩返し》を思い出して怖気づき、同時に我が身の浅ましさをいさめた。

 奇術師は毎晩指先のトレーニングを怠らないようだった。
 
 奇術には必ずタネがあり、人間の心理を徹底的に知り尽くした上でそれを逆手にとるのだが、その仕組みを人目から消し去るための無限の努力が裏に必ず潜んでいる。
 タネと同時に、客には一切その努力が目に見えない。
 
 奇術は多くの重要な事柄を私たちに教えてくれる。

 目の前で起きる現象は、決して確かなものではないこと。

 人間はいとも簡単に騙されるという事実。

 先入観や思い込みが、実は一番怪しいということ。

 そして、見えないところにこそ、最も重要な真実が隠されているということ。

 それらはすべて、今の時代において、しかも自分の国を相手にピンポイントで重要な教訓だといえる。

 それこそが、実に実に情けない。 了

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