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エッセイ 息吹の天窓 後編

脇の下から汗がでた。……

《後編》
 
 7時になってようやくあたりは薄暗くなってきた。いよいよ本日のメインイベントである《真依子•夕涼みコンサート》の始まりだ。

 真依子ちゃんは地元出身のシンガー・ソング・ライターで、日本の伝統楽器である《箏》を奏でながら自作の歌を歌う珍しいスタイルのアーティストである。

 豊かな自然の中で育った慈愛に満ちた視点から生みだされる作品は、想像力豊かな感性で紡がれており、どの曲もきめ細かく丁寧にうたい描かれているのがその大きな特徴である。

 2005年にキングレコードからメジャーデビューし、これまでに4枚のアルバムをリリースしているが(※ 執筆当時)デビューアルバム完成時に、録音スタジオで最終作業を終えたばかりの音源を持参して、いち早く私に聞かせてくれたことが今でもついこの前のことのように思えてならない。

 その中の《つゆ草の青》という曲を私は大いに絶賛し、それを産み出した、自分には無い種類の彼女の才能を心の底から羨ましく思った。

「じゃあまたねの『またね』はいつ? 手を振るあなたに聞こえない声」という、素直な女の子の問いから始まり、

「つゆ草」のたった二枚の花びらが、風に揺られてもけなげに寄り添い続けていることや、夜に咲けない「つゆ草」が、月に揺られて眠るなどと、美しく繊細な恋愛につなげて表現しながら、最後は「青、夜空の下、つゆ草の青」と、変形型の強調法で大胆にしめくくるセンスが素晴らしい。
 
 さて、およそ150人を無理矢理お寺の本堂にあげて、金色に輝く弥勒菩薩を背にした仮設ステージに、ギター、キーボード、そして真依子ちゃんの箏が並ぶ。

 45分のコンサートはあっというまに終了し、次は境内に設置された特設スクリーンに影絵が映され、創作童話が朗読された。

 そして最後は百カ所近くに配置された植木鉢を使った切り絵にロウソクが灯され、幻想的な空間にあたりはすっぽり包まれたのだ。

 都会とは比較にならない真っ黒な空には、くっきりと北斗七星が浮き上がり、うっかりすれば雲のように見える天の川がそのそばに佇んでいる。

 皆が風情を満喫して、催しはすべて終了した。何ヶ月も前からこの日のために心血を注いできた主要スタッフは、とどこおりなくことが運んで皆胸をなでおろした。

 あらかたの後片付けを終え、宿泊施設であるロッジに移動し、関係者だけで残った食材を肴に乾杯したのはすでに深夜だった。
 
 早朝、なんと私は寒さで目覚めた。
 まわりを見ればまだみんなぐっすり眠っている。川のせせらぎが大音響ですぐそばにまで迫っている。

 吸い寄せられるように外に出て、朝露で濡れた斜面を「おっとっと」などと声を出しながら下り、川辺に降りた。

 音と空気がどうしようもなく気持ちいい。けれどもそのくせどこか落ち着かない。

 幼少期を豊かな自然の中で暮したことのない私は、こういう場所に来るとやけに焦ってしまうのだ。それはおそらく、自然の声が聞きとれないからに違いない。

 そうとなったら無理矢理でも聞こうとする。力がはいる、耳を傾ける、そして最後は、やたらと話しかけてみるのだ。
 
「葉っぱよ、虫よ、蟻よ、枝よ、幹よ、小川よ、蟹よ、蝉よ、空よ、雲よ、風よ、太陽よ……ええい……全部まとめて、お山よ!」

 やっぱり少しも返ってこない。
 
「そりゃそうだよな、長年の都会暮らしで、合成保存料や人工甘味料や抗生物質や、そのうえ精神的不純物までが五体の隅々まで行き届いているし、そもそも自然などとは、今までまともにつき合ったことが一度もないんだから、今さら急にこっちが馴れ馴れしくしても相手が戸惑うのは当然だよな……」と、独り言を言う。

 焦ってみても始まらない。これからはのんびり構えて、ことあるごとにこういう場所に足を運んで徐々に馴染みを深めていくことにしようと自然の理に素直に従ってそう決めた。

 それで、もしも将来首尾よく気軽にしゃべれるような間柄にでもなれれば、私の世の中が、今よりぐっと面白味を増すのは確実だ。

 そのうえまかりまちがって、草や花の歌を書けるようにでもなれば、それこそ願ってもない幸せなのだが……一生、真依子ちゃんにはかなわないのが目に見えている。

 実のところ、このことはかなりの水準で、地団駄を踏むほど悔しくて悔しくてたまらないのだ。

 もちろん現在に至るまで。
 
 
 
 

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