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エッセイ お猿のかごや

 まだ幼稚園にもあがる前、親に買ってもらったのかどうなのか、身内の誰に聞いてもさっぱりわからないのだが、私は一冊の童謡の絵本を持っていた。

 紙質は厚くしっかりしており、今から思えばおそらくA4サイズだったのではなかろうか。

 全ページカラー刷りで、見開きの二頁分を一曲にあてて、子供向けのさし絵とひらがなの歌詞が印刷されてあった。

 最初の頁が《はるがきた》で、《ゆうやけこやけ》、《ゆりかごのうた》などが続いたが、何よりも嬉しかったのは、《きしゃ》が、「きしゃきしゃ ぽっぽぽっぽ…」で始まる《きしゃポッポ》でも、「おやまのな〜か〜いく…」の《きしゃポッポ》でもなく、「今は山中 い今は浜 今は鉄橋渡るぞと…」の《きしゃ》だったことである。

 私は、幼児期から、歌詞の好みがませていて、子供だましを嫌う傾向が強かった。

 メロディは母が全部知っていたのでそれで事足りたのだが、ただ1曲、私が開くのさえ恐れた頁があった。

 それは「エッサ エッサ エッサホイ サッサ」の《おさるのかごや》である。

 そこに描かれた暗い山道は、谷を左手に険しく曲がりくねっていて、妙にリアルな人間の顔をした気色の悪い大猿たちが不気味な籠を担ぎ、前後には灯りがついた小田原提灯を持った子猿が、変な旗を背中にさして一緒に走っているのだった。

 なんとなく、日本古来の土着的妖怪を連想させる、決して子供向けの可愛い絵ではなかった。
 そして籠の中には、鋭い目つきの意地悪そうなキツネの娘が乗っていた。

 どう見ても嫁入りのような目出たい雰囲気ではなく、幼い私はこれを見て、恐ろしい"人さらい"を連想してしまうのだった。

 犯罪事件史に名高い《吉展ちゃん誘拐殺人事件》が起こったのが昭和38年3月末で、私は満3歳になる寸前だった。
 
 この事件はテレビやラジオで犯人の電話の声を公開して、一般市民に初めて広く情報提供を求めたことにより、極めて高い国民的関心を集めた事件であった。

 その後、容疑者である 小原 保の自供にもとづいて遺体が発見されたのが2年後であったから、私がこの本を読んだちょうどその頃、まわりの大人も子供も、誘拐事件にかなり敏感で、その頃の空気を強く記憶している。

 今はもうなくなってしまったが、甲子園球場のすぐ向かい側に《阪神パーク》という動物園があった。
 ヒョウとライオンをかけあわせた《レオポン》が居ることで有名で、我が家では、足の便の事情もあり、宝塚ファミリーランドの何倍も、阪神パークにつれて行ってもらった。

 トラやライオンなどと異なり、レオポンはいつも何かを悟りきったかのように落ち着いていて、妙に淋しい顔をしていたことを今も鮮明に覚えている。
 
 ある日、動物園に隣接する遊園地で、私は回転木馬に乗っていた。
 木馬が回転しているあいだじゅう、バックに様々な音楽が流れる。

 数曲を経て、木馬の動きが停止に向かいゆるやかになり始めた頃、曲が《おさるのかごや》になった。

 すると、急に顔色を変えた私は、木馬から降りて逃げ出したのである。

 まだ静止していないステージに、係員が血相を変えて救出に走り、父はそのあと大目玉を食ったそうだが、父としてもまさかそれまで機嫌が良かった息子が、突然馬から降りて逃げ出すとは思いもしなかったらしい。

 アルツハイマーが進み、様々な重要な出来事を記憶から強制削除された父が、今でも時折その時の話をすることがあるくらいだから、この事件は余程衝撃的であったに違いない。
 
 実はこれとよく似た恐怖感覚を成人してから味わったことがある。

 グリム童話で有名になった《ハーメルンの笛吹き男》である。

 話の筋は、大量発生したネズミの駆除を請け負った男に対し、村人が約束の報酬を与えなかったために、怒ったその男が笛を吹きながら村中の子供をどこかへ連れ去ったというものである。

 この物語は小学校の頃には既に読んで知ってはいたが、これが実際にあった悲惨な事件の伝承であるらしいということを知ったのは、比較的最近のことである。

 ハーメルンの街には今でも《笛吹き男の家》が残っていて、現在でも消えた子供達への追悼の念を込め、一切の歌や音楽が禁止されているエリア《ブンゲローゼシュトラーセ》が設けられているというから、実に不気味で恐ろしい。
 
 前置きが長くなってしまったが、いつかは《ハーメルンの笛吹き男》をモチーフに、短編を一本書きたいと思っていたところ、昨今の何だか馬鹿げた自国の政治家の顔や近隣諸国の愚かさに気分が押し流されたある朝、布団の中で急に思いついて、文字におこしてみた。時代は……そう遠くない未来とでもしておこう。
 
 タイトルは、《東京の笛吹き男》。

 マガジン、【大人の童話】に続く。

 
 

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