評論 両替
均衡を失することを、ひとは嫌がる。
ぐるりとまわったその先で、帳尻があうことを、なんとなく信じている。
それが、仕組まれた原理だともいう。
宇宙の真理だと考えている。
長い目で見れば、みんな平等なんだと。
しかし、最後はイーブン(互角)とは言いながら、ゴールラインは動いてゆく。
とある隣りの卑しい国の手口のようで、政治ではなく精神で不快をもよおす。
均衡を失することを、社会も嫌がる。
けれども見えているその距離で、
生きているその期間は、あたりまえに、
仕組まれた課題だともいう。
人間の定めだと言って受け入れようとする。
それは、生命の常識であるから。
所詮は無関係とは言いながら、のどをならして悔やんでいる。
とある卑しい我が国の政治のようで、結果ではなく存在で不快をもよおす。
重大なことに気付いていない。
両替は決してイーブン(互角)ではないのだ。
両替には手数料が必要だ。
知らないうちに目減りしている。
両替を繰り返せば、いずれすべてが消え失せる。
両替はまぼろしではなく、
両替はインチキなのだ。
社会をだまくらかす、
インチキなのだよ。
そこにさえ気づけば、
生きていくための重要な課題のひとつが、
この世のあらゆる不公平に慣れて、それを受け入れることだということが、理解できるはずである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?