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エッセイ 高校野球

 今から40年ほど前、私は甲子園球場で働いていた。
 正確には、内野やバックネット裏の売店に、400円の巻き寿司を届けていたのだが、高校野球の時は、ついでに遊びでカチワリを売る手伝いなどもした。

 ある日、いつものように台車に寿司がつまった段ボールを載せて、三塁側ベンチ裏を通っていると、廊下の壁沿いに、次の試合に備えて待機している 箕島ナインに遭遇した。

 野生児を連想するような、真っ黒に日焼けした顔と腕。

 皆、高校生とは思えないガッチリとした体格で、腕も首もお尻も、恐ろしく太かった。
 さすが強豪は違うなと、ものすごく感心した。

 さて、そのままバックネット裏を過ぎると、今度は一塁ベンチ裏に、同じように対戦チームが待機していた。
 学校名は失念したが、これがまた全員見事に色白で、華奢で貧相な体格……というか、ごく普通の高校生。

 さっきの箕島と比較すると、大学生と中学生くらいの差、または運動部と文化部くらいの差があるようにさえ思えたのである。

 体格や風格、持っているオーラで戦う前から勝負がついていた。

「かわいそうに……高校野球って残酷やなあ。 全国に生放送されるんやからな。 まあ、たとえ甲子園でボロ負けしても、地方大会を勝ち抜いてきて、甲子園球場のグランドに立てただけでも、この子らは幸せなんやろな……」

 哀れに思った私は、その子らに、無理を承知で、
「頑張れよ!」と、精一杯温かい声をかけたのだった。

 私の声かけに、何人かが笑顔で、
「ウイッス」と、こたえてくれた。
 その目が決して淀んではいなかったことが、せめてもの私への慰めになった。

 ふと「玉砕」の文字が浮かんだ。そして、勝つことよりも甲子園に出ることに最大の意義があるのだと、自分に言い聞かせた。

 さて、夜になって家で熱闘甲子園かなんか、そんなような番組を見て、私は椅子から転げ落ちた。

 なんとあのあと、箕島が負けていたのである。あの華奢なチームに……。

 私は、心底それが信じられなかった。

 野球は体格だけではなかったのである。
 野球というスポーツの深さに震えると同時に、この世の真実に一つまた触れた気がした。

 それからである。

 私は、高校野球に急激に魅せられていった。

 さて、それからおよそ35年の歳月が経過した2013年8月8日の夕方。

 わざわざ高校野球を見るためだけに、
昨年大晦日の紅白以来、初めて、テレビのスイッチをいれた。

 戦っていたのは、なんと、箕島。
 しかも、全然知らなかったのだが、箕島は、29年ぶりの出場だとアナウンサーが言った。

 昔は、和歌山といえば箕島で、たしか、春夏連覇もしたはずである。
 あの星稜との名勝負は、高校野球の歴史に今も輝きまくっている。

 その箕島が29年も、甲子園に出ることが叶わなかったのは、智弁和歌山 のせいらしい。

 いずれにせよ、めったに見ないテレビをつければ、あの箕島だったわけである。

 これも何かの因縁だと思わなければ、私の中でおさまりがつかない。
 そんな気持ちで、テレビの前で熱く応援した。

 けれども、箕島は負けてしまった。

 今迄の数々の名勝負を振り返って痛感するのは、
「ほんまに、甲子園球場には魔物が棲む」ということである。

 甲子園球場の勝利の女神は、とにかくめちゃくちゃに嫉妬深い。

 ほんのちょっとしたミスや、たるんだプレーで、すぐに拗ねてツキを取り上げ、容赦なく相手チームに与えてしまう。

 世の中に、嫉妬深い女ほど残酷でたちが悪いものはない。

 写真は、ラッキーゾーンがあった頃の甲子園球場である。

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