権力と虚構
2018年5月
生きていく中で、様々な要素やタイミングがからみ、ふと本来持つべきではないひとりの人間が、間違って権力を得てしまうことがあります。
権力とは残念ながらその地位にほぼ比例するようです。
自分の努力でつかみとったものと自慢する人もいますが、もし本当にそうであるなら、それは逆に自らの悪事を自供しているようなものです。
人生における権力とは、そのほとんどが幻であり、それは虚構の上に輝く虚像でしかありません。
ここでいうところの「虚」に反する言葉は、「実」ではなく「人」です。もっというと「心」。
「心」を抽象的概念だとバカにしてはいけません。「心」は、すべての哲学・ 宗教を超えた宇宙に内在する量子の正体なのですから。
人は権力を手に入れ、しばらくその状態が続きさらに環境に慣れてくると、必ずと言ってもいいほど狂い始めます。
スケールの小さなところにしか存在しない本物の「心」が見えなくなるからです。
その最もわかりやすい兆候の一つが「ウソ」なのです。
「ウソ」は漢字で「嘘」。虚構や虚像の「虚」の親戚です。「口」がつくかどうか……なかなかココは意味深でしょ?
権力に酔ってボケると「ウソ」の感覚が麻痺してきます。これも「心」を軽視することから繋がっています。
つまり「ウソ」の罪悪感や、バレた時の怖さを忘れ、さらに自分の権力下にある「ウソ」はまかり通るという過信をしてしまうのです。
事件が発覚した時。……この場合の「事件」とは、自分の影響力が及ぶ外の世界にコトがはみ出た場合のことを言います。カルト宗教団体と構造は同じです。また家庭内暴力や、学校内のイジメ。さらに会社のパワハラ、学校のアカハラ、それらすべてにこの「事件」の定義は当てはまるのです。
狂った権力者は、それらの外側に無関係な他者や警察や裁判所、さらに刑務所が存在することをすっかり忘れているのです。
★ 日大アメフト部の監督は、まさにそれだったのだと思います。
権力を持った人間が調子に乗って自信過剰になって狂ったまま暴走した。
ホントはその程度のものすごくスケールが小さい、本来は臆病な人間なのでしょう。
だいたいその程度の人間がありえない権力を持つ場合は、普通ならその影にヤカラ…まあ、ヤクザが居ると考えられます。
これは世の中の公式の一つで、堅気のトップとヤクザの隙間にトルクコンバータのように、ヤクザの顔をした堅気が現れるものなのです。
もちろんこれは、あくまで一般論ですが…。
私は内田正人をエセヤクザだと踏んでいます。
日大アメフト部の監督は、権力に酔ってボケて、独裁の暴挙が暴走し、勢いあまってそれが外の世界にまではみ出てしまいました。
当然そうなれば、外の世界の常識の尺度で叩かれまくります。
当たり前ですが、権力に酔ってボケた者からすれば超予想外、想定外なことなのです。
さらに力で揉み消そうとしても、関東の日大からは関西の関学まで、さすがにヤクザな力は及びません。
それでも本人はボケたままですから、状況を正しく理解せず、自分のウソがいまだ通用すると勘違いしています。
誰が考えても誤魔化しきれないことなのに、なんとかなると……今までの自分の力を信じてその運命の流れに安易に頼るわけです。
真相を隠しにくいというネット社会の現実にも気づいていませんから、部員に箝口令を敷いたりして、時代錯誤の悪あがきをします。
そんなアホが態度を変えるのは、時間の経過に伴って、自分が敵わないさらなる権力や圧力が、外部から加わった時だけです。
本来の「人間として犯した過ち」に対する反省などはなく、ただ不幸な流れ……たまたま運が悪かったのだ……または、誰か他者のせいにします。
当初は謝罪自体もなかなか受け入れませんが、さいごは水戸黄門の印籠を見て、いやいや形だけは頭を下げることに同意します。
いずれにせよ、そうして自らを主人公にして、ひとりの人間の地位や名誉…権力…が、虚構の上に立つ虚像であったことを、砂山が崩れ落ちるように見事に証明してしまうのです。
残念ながらここまでくれば、内田監督の社会的評価は、どうあがいても生涯地に落ちます。
今更謝罪をしてもなんの効力もありません。時すでに遅しです。
今日、日大アメフト部監督の辞意を表明したそうですが、数日前までは9月までの自粛、みたいに言うてたわけです。それが反省していない証拠です。
ここ数日のうちに、まわりから常識を教えられ、納得せぬままさらに上の圧力で、詰め腹をきらされた結果が、この監督辞任発言でしょう。
現に大学の要職の辞職には触れていないようです。
今回の件でどれほど日大のイメージが悪くなったか?
多くの日大OBが傷つき、母校を恥ずかしく感じたか?
さらに日大には危機管理学部があるにもかかわらず、それがみずからに全く機能しなかった喜劇的失策をどう考えるのか?
日大トップはアメフト部を廃部にするよりも、危機管理学部の廃止が先ではないでしょうか?
監督は大学どころか人間を辞任すべきなんです。
これ、昭和以前の日本人なら生き恥をさらすより切腹をするケースです。あまりに恥ずかしい行為だからです。
でも、今の時代はヤクザの指詰めが減ったように切腹の意味も変わりました。
命の捉え方も変化したのです。
今は情報が流れ、死後でもネットに残ります。この人の社会的人生は実質終わったわけです。
日大としてのおとしまえは内田正人の大学自体の解雇とコーチ陣の一掃。
さらに危機管理学部の廃部です。
アメフト部の廃部は必要ありません。
宮川君には、なんらかの形でスジが通るように復帰のチャンスを与えるべきです。
それをせんかったら、まあ、理事長がなんか内田のオッさんに弱みを握られてると疑われてもしゃあないでしょうね。
今回の件で私が何を言いたいのか。
権力をなめてかかったらあかんということです。
もちろん持っている人間も、持たれる人間も……とにかく権力は人を変えるんです。
権力と人との関係は、政治や宗教も含めて、まだまだ人類の重要な研究課題なのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?