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幽霊

 幼い頃、母親や母方の親戚からよく怪談を聞かされました。だいたいは幽霊や妖怪におどかされ、そのまま命を奪われる話でした。

 幼稚園にあがるまでの私は極端な虚弱体質で、何度も死にかけていました。今から思えば極度の神経過敏症だったと確信できます。とにかくカンが鋭く、繊細すぎたのです。

 高熱にうなされたあと耳元で、親や祖母が親戚に連絡すべきかどうかをささやきあう声も、さらには、回診に来た医者が「今晩がヤマ」だと言った声も、不思議に今でもはっきりと思い出せます。

 そんな私は、ごくしぜんに自分が死ぬということを身近に感じていました。
 そして、自分が死ぬのは病気の今より楽になれるのだからどうってことがないし、うまくいけば天国で2歳の時に亡くなった祖父に会えるかもしれない、などと考えながらも、それにしても残された父親と母親と祖母はめっちゃ悲しむやろうと、そこだけが心配でした。

 そんな私でしたから、怪談はほとんど怖くありませんでした。

 なぜなら、幽霊がおどかすのはイタズラではなく、命をとるためなのです。
 もしも幽霊に、たとえば足を引っ張られて水の中に引き込まれてそのまま命を奪われたら、自分もこの世から卒業し晴れて幽霊になれるわけですから……。

 生きてるうちはこんなに弱いカラダで、まして子供ですが、幽霊になればハナシは別です。

 私は死んだら誰よりも強い幽霊になる自信がありました。そして、大男さえ震えあがらせるアイデアを沢山持っていました。

 だからもしも自分が幽霊になれば、悪い幽霊や人間を片っ端から退治するつもりでいたのです。
 もちろん世のため人のため。

 そうこうしているうちに、なぜか幼稚園にあがった頃から私は普通のカラダになりました。
 幼稚園に通った1年間で病欠したのは、麻疹を患った時だけです。

 それでも相変わらず幽霊はまったく怖くありませんでした。
 夜に墓場の横を一人で歩いても、ホントにどうってことなかったのです。

 けれども、小学校にあがってからは、夢の中で恐怖で逃げまくって泣き叫んで冷や汗かきまくったことがたびたびありました。

 幽霊が怖くなかった私がビビったのは怪獣でした。

 ビルよりも大きな怪獣が、吠えながら自分たちの方に向かって歩いてくる夢を何度も見ました。
 おそらくウルトラQ の影響でしょう。

 それと、マグマ大使 にでてくる"人間もどき"、身近な人間が、知らないうちに魂を乗っ取られて自分を騙す設定で……これはマジ怖かった。親や周りの人に対し人間不信に陥り、すべてを疑うようになりました。

 そんなふうに、生まれて初めて「恐怖」というものを覚えた私が、その次にビビったのは洋物映画の吸血鬼ドラキュラでした。

 舞台はイギリスやフランスだったのですが、このドラキュラが万が一日本にまで来たらどうしようかと真剣にビビり、震える手で地球儀をまわし、イギリスと日本の距離を確認して自分を慰め、さらに現実逃避して冷静さをねつ造してごまかしました。

 さすがに今になれば怪獣もドラキュラもさほど怖くなくなりました。
 昔取った杵柄で、幽霊は今でもサッパリ怖くありません。

 怖いのは、やっぱり人間ですね。

 人間に比べたら、幽霊なんて可愛いもんです。
 呪い殺されても、死ぬだけですから。

 でも生きた人間ほど恐ろしいものはありません。まさにこの世では。

 何しろいっしょに生きていくわけですから……どちらかが死ぬまで……考えれば、それは実に恐ろしいことです。

 愛や恋や金や権力を抱き込んだら、さらに恐ろしい。よく言う「生き霊」と言うやつです。

 おぞましい嫉妬心、果てしない欲望……そして愛の裏返しの残忍さ……。
 邪悪でタチが悪すぎます。

 饅頭怖いとか熱いお茶が一杯怖い……などと余裕をかましてる場合ではありません。

 ああ……それでもさらに恐ろしいのは……自分の書いた作品の中に混ざりこんだ嘘の粒子です。

 世の中にこれほど恐ろしいものは他にありません。
 なんせ、細かすぎて目に見えへんのですから……でも、わかる時がある……自分にも、さらに他人にも……そしてあるひ突然突然現れることも。

 多分、それで死んだんでしょうね。
 芥川も太宰も川端も……。
 私はそう疑っています。

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