住宅双六と日本のベビーブーム世代の価値観
日経平均が数週間前に34年ぶりに史上最高値を更新しました。この30年近くの年月は「失われた30年」と言われることが多いですが、不動産に関しては1000兆円以上の資産価値が失われており、土地資産総額はバブル期を超えてはいません。
https://note.com/tokiv/n/nc76624ce1f73
1000兆円以上もの資産が喪失した年月をもたらしたものは何だったのか、様々な論点であるでしょうが、結局は日本のベビーブーム世代(団塊世代)の価値観により形成されたゲームのルールに問題があるような気がします。その重要な特徴として、競争が消耗戦になりやすい点があると思われます。
不動産市場に限らず日本では健全な競争による富の蓄積というよりは、消耗戦をもたらす良く分からない競争が多い印象ですが、どうなのでしょう。
https://business.nikkei.com/article/NBD/20120319/230060/
こうしたゲームのルールが形成された経緯を鑑みるに、まずは第二次大戦後の圧倒的な貧困のなかで、どう生きていくか?というような原体験を多くの方が持っていたことがまずは重要なのだと思います。
「集団就職」のように知らない都会でのゲームへの参加を半強制された感覚も重要なのでしょう。日本以外の国でも同時期に「あゝ上野駅」みたいな歌唱曲があったりするのでしょうか。
https://merkmal-biz.jp/post/41665
「4大公害病」のようなものが当時の他国には必ずしも無いのも不思議です。
そうしたなか「住宅双六」のような考え方が形成されました。
こうした考え方は、早く安定した生活を送りたい、もう苦労したくない、というような感覚の延長として理解できるような気がします。それは「終身雇用制」のような働き方が支持された理由と同じようなものなのでしょう。
一方で、その「双六」の次の参加者のことはあまり考慮されていなかったように思います。不動産の本源的価値は次の参加者がもたらすときに、誰も参加しない「双六」ゲームの価値は上がらないのでしょう。
そうした意味で、「失われた30年」をもたらした、もしくは未だにもたらしているようなゲームのルールは早く変わるべきでしょう。アメリカの住宅市場はリーマンショック前の価格を2020年頃に超えています。
次の日本の不動産のゲームのルールはどのようなものであるべきでしょうか。今の日本人の原体験に共通のものは見出しにくいですが、少なくとも団塊世代の方々のように悲惨なものではないでしょう。ただ「あゝ上野駅」みたいな一部の都市への集中が未だに存在することは気がかりです。
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