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操作できないキャラクター

はろーこんばんわ。

人生がクソゲーみたいに思えている人は、
恐らく自身で変えられること、
何かできることが
すくないように思えているのでしょう。

しかしそれはある意味で
当然のことであって、
なぜなら自分自身というのは

・操作できないキャラクター

だからです。

意思というものがあるせいで、
自分自身を操作できるかのように
思えてしまいがちですが、
実際には

・そうするように
 誘導することしかできない

もし完全に操作できるのであれば、
するべきと思ったことを
できない人なんていないでしょう。

ドラゴンクエストでいうなら
命令させろのコマンドは
わたしたちにはないわけです。

一見操作できるように思えて、
実際にはあまりにも
意思や意識は表層でしかない。

操作できると思い込んでしまえば、
なぜ思い通りに動かないのか
思い通りにならないのか、
その苦しみを味わうことになる。

でも、
実際には自分自身すら操作できず
他人であればなおさらそう。

ある程度うまくいくようにしか
わたしたちにできることはありません。

アドラーはラクダに水を飲ませられない、
と言っていましたが
自分にだってそれは適用される。

どうにもできないことの方が
多いことは当たり前で、
むしろどうにかしなればならないと
思い込んでしまうことは
歪みであるとすらいえるでしょう。

操作できない、
誘導することしかできない。

それはある意味では悲しく思えますが、
ある意味では気楽な事実です。

操作できないのだから、
別にできないことがあっても
しょうがないのですから。

それに加えて、
より上手に操作するためには
そのことを知っておかなければならないでしょう。

自分自身の機嫌を取ったり、
体調をよくするというのは
操作不可でなければ
あまりやる気にはなりませんから。

意思の力でどうにでもなるんじゃないか、
と思い込んでしまうからです。

操作できないキャラクター、
それがどのようにしたら
自分のしたいように動かせるか。

すこし考えてみると、
面白いかもしれませんね。

それではまた。