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映画『ピアニストを待ちながら』チェルフィッチュ主宰さん岡田利規よりコメント到着、全文公開。

映画『#ピアニストを待ちながら 』#チェルフィッチュ 主宰さん#岡田利規さん よりコメントが到着しましたので、全文公開いたします。

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図書館
という空間が演劇によって異化されるのを、この映画を見る者は目の当たりする。そこで演劇のリハーサルが繰り広げられること。しかも真夜中に。それによってそこに結界が生じる。そこがまぎれもなく異界になる。劇場でない空間が演劇によってまざまざと異化されるさまが、そのような演劇の上演そのものに立ち会う以上にそれを捉えた映画、つまり、この「ピアニストを待ちながら」という映画を見ることによって、よりまざまざと味わうことができるように思われるのは、しかし、なぜなのだろう?

岡田利規(チェルフィッチュ主宰 / 演劇作家 / 小説家)


※補足①・・・舞台となる図書館について

本作は早稲田大学に建てたれた「#村上春樹ライブラリー 」で全編撮影されています。

村上春樹ライブラリー
村上春樹ライブラリー

そもそも監督である#七里圭 さんは、「村上春樹ライブラリー」の記念映像を監督されていました。

その内容は人間の影を多用したものになっており、そのことについて七里監督は、村上春樹さんのアンデルセン文学賞の受賞スピーチからインスピレーションを得たと言っています。

開館記念の映像をどういうものにするか。構想するにあたって、(開館に寄せて村上春樹氏が掲げたキャッチフレーズ)「物語を拓こう、心を語ろう」について熟考することにしました。
そのヒントになったのが、アンデルセン文学賞の受賞スピーチです。このなかで春樹氏は、「小説を書くとき、物語の暗いトンネルを通りながら、まったく思いもしない僕自身の幻と出会います。それは僕自身の影に違いない」「影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。影を作らない光は本物の光ではありません」と述べています。
それは、春樹氏の小説に取り組む姿勢をつまびらかに語るとともに、私たちが今生きる社会、現代文明のひずみ、その問題の本質を照射するスピーチであったと考えています。特に「影を作らない光」というメタファーは、都合の悪いものを排除し、どんどん白々と明るく清潔になっていく世の中、人間への警句に思えました。
一般的に、私たちは光によって物事を見ることができると考えていますが、事物が影をも併せ持つことを考えることなしには、あらゆる存在に対して表現が開かれていないと指摘しているのです。
国際文学館は、「物語を拓こう、心を語ろう」という言葉をその入口に掲げています。私にとって、「心を語ろう」とは、影と対峙するというメッセージだととらえ、そこから作品制作の着想を得ることにしました。

https://keishichiri.com/jp/news/library_haruki/


補足②・・"図書館という空間が演劇によって異化される"とは

映画『ピアニストを待ちながら』は真夜中の図書館に集まった人々が演劇公演『ピアニストを待ちながら』を行おうとするが、ピアニスト役が決まらない、、、という物語です。

目覚めるとそこは真夜中の図書館だった。瞬介(#井之脇海 )が倒れていた階段の両側には、吹き抜けの天井まで高く伸びた本棚がそびえ、あちこちの段に小さなヒトガタが潜んでいる。扉という扉を開けて外に出てみるが、なぜか館内に戻ってしまう。途方に暮れた瞬介は、導かれるようにして一台のグランドピアノを見つけ、そっと鍵盤を鳴らす。
やがて瞬介は、旧友の行人(#大友一生 )とその彼女だった貴織(#木竜麻生 )に再会する。三人は大学時代の演劇仲間だった。行人と貴織はもう随分前からここにいるらしい。他にも、見知らぬ中年男の出目(#斉藤陽一郎 )や謎の女絵美(#澁谷麻美 )もいる。行人は、この状況を逆手にとって、かつて上演できなかった芝居の稽古を始める。


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