京都日記が埋もれてた
京都日記
冬を待つ束の間の季節である
秋という時間は短く足早に心を枯れさせてゆく
しかしながら
この枯れてゆく瞬間というのは
自分を静かに見つめられる
かけがえのない時であるようにも思える
数々の忌まわしい過去を捨ててしまおう
思い出など枯れ果ててもかわまわない
とそう思っている
ひとつの逃げの手段かもしれない
やがて
忘れようとしても忘れられることなどないはずの
魔法にかかったように時間に残してきた足跡を
あっさりと掃き捨てられそうな気持ちになる
欲張って
自分の人生の記録帳を膨れ上がらせてきたのだが
それもよくよく考えれば
虚しいことだと気づく
その気づきが正しいという保障もないまま
行く道を探って
一つ二つと決心を重ねて
やがて行き着くところの姿を思い描く人も多かろう
答えなど
模範解答などどこにもないし
答えがあるかどうかさえ明かされないままだ
京都の時間は止まっているかのようにすぎる
痴呆の人が静かに
『サ高住』の玄関ロビーを歩いている姿を見ていると
何処かへ泳ぎつこうとする
漂流する何者かそれは漂流者にも似ているように
見えてくる
決まられた動作を
繰り返すロボットのように動き回る介護施設の人たちや
それと対照的に浮遊する高齢者の姿が
決定的に病院での様子とは違うことに
遅まきながら気づき
目指すところの違いを知らされる
静かである
会話はいらないのだ
待っているのだろうか
自分がどこかに導かれるのを
息が止まる瞬間を
いや
誰か人が現れるとか
恋人ができるとか
昔の友人がやってくるとか
この住処を飛び出して
何処かへ行けることを
夢見るのだろうか