銀マド 深夜の自画像

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銀マド 深夜の自画像

【銀マド】 深夜の自画像 

2012年1月28日 (土曜日)
南国屋さん

▼正月の肉ためたまま一月尽

1月も早いもので、もう25日を回ってしまった。

寒い夜を迎えると
また昔の下宿を思い出してしまう。
四畳半裸電球の下宿の部屋で
窓を開けると路地の向こうの同じボロ下宿に
年の似た女の子がいて、

結構青春ドラマみたいに、
窓を開けるたびに顔を合わせた。

私のことなど意識せず
裸で平気で、気にせず歩きまわったりして、
気さくなお隣さんだった。

その部屋は、南国屋さんという食堂の二階だった。
でも、彼女の名前は、吉川くんではなかったが。

ほかでも書いたが(※江古田(1)でも触れていたが)、猫をたくさん飼っているおばあちゃんが食堂を経営している。
普通の民家に暖簾を出すだけで、
南国屋と書いてなければ、雑貨屋でも散髪屋でもおかしくない。


ガラガラと戸を開けて入る。
猫が出入りするので、少し開いていることが多かったかもしれない。

なかは土間である。
もうそんな下宿屋は都会にはないだろうな。

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2011年8月21日 (日曜日)
夏休み

小さい頃の子どものお勤めといえば、お風呂の薪を焚きつけてお風呂を沸かすこと、縁側の前から家の周辺をぐるりと掃いて回ること、夕飯のお茶碗を飯台に並べること、ニワトリに餌をやること、などがあった。他にはその日その日によって前の畑に茄子をもぎに行ったり、ニワトリ小屋に卵を取りに行ったりした。

振り子のついた柱時計もあったので、こいつのネジを巻くのも仕事だったような気もするが、これはあとからそういう風景を思い出して記憶がすり変わってしまったのだろう。子どもの私には柱時計には手が届かなかったはずだ。踏み台を置いても届かなかったはずで、毎日、たぶん、父が蝶々の形をしたネジ回し器でネジを巻いていた後ろ姿を見上げていたから、いつからか自分がやっていたような記憶に成り済ましてしまったのだろう。

蝉といえばアブラゼミで、クマゼミの声はあまり聞かなかった。友達と山へ遊びにでかけてもクマゼミを見つけると蝉の王様をつかまえたような気分だった。
私は蝉を捕ってそんなに喜ばなかった。捕獲したところで何になるのだ、みたいな気分があったのだろう。そのへんにたくさん散らばって鳴いているものを無理に捕ってしまう必要もないだろう、と考えていたのだろう。昆虫採集などをして整理して夏休みの宿題を完成したことなどは一度もなかった。

近所には1m程度の深さの川があって、泳ぐには最適の淵もいくつもあった。遊泳場になっているので、午後になると保護者付きで子どもたちはそこで泳ぐのが日課だった。プールというものはこの地域には全くなかったし不要だった。
しかし、そこでも私はあまり泳いで遊んだ記憶はなく、魚釣りに行くわけでもなく、何をしていたのだろう、山の中に入って行って駆けずり回っていたような気もする。

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銀マド

銀マドとは
「銀のマドラー」のことで
マドラーとはウイスキーなどを撹拌するときの『攪拌棒』のことです

その名前をもらって『銀マド』というブログを長い間 書いている

『深夜の自画像』と『深夜の酒宴』

「深夜の自画像」は 五木寛之さんの作品タイトルのパクリだ

学生時代に 「深夜の酒宴」(椎名麟三)と「深夜の自画像」(五木寛之)という作品タイトルが気に入って真似して 大学ノートの余白に思うことをあれこれと書き綴っていたことから 後になって日記をHPに書き始めたときに使ってみることにしたのだった

深夜
静かに過ぎゆく時間は
果てしなく自分を夢の世界へと誘うのだった

二篇

どちらも 特別に面白い作品ではないが このころにこんなことを考えていたのだと振り返れる

もうあのころには戻れないし こんな作品は書けない

人生はこんなことを繰り返して 終わってゆくのだろうか

禍福は糾える縄のごとし