赤目四十八瀧心中未遂 (また読んでいる)
車谷長吉の小説で「時を失う」という表現が出てくる
赤目四十八瀧を彷徨う物語の結末は心中未遂なのである
二人は 生きてゆくことの儚さと まさに「時を失う」衝撃を 感じながら 自分の生きる道の運命と闘う
「時を失う」
ものがたりの中で言葉にしてちらりと見せて しかし それが一体どういうことなのかには触れていない
この世で生きていく限りは 夢がありその夢に敗れることがある
明るい未来を諦め 現実に向き合い その泥のような沼で踠きながら さり気ない顔をしながら生きている
泥に塗れて生きていかざるを得なかった人生を 何も恨むことなく 受け止めて この道の先へと二人の行先が展開される
✤
「生島さん。うちを連れて逃げて。」
「えッ。」
アヤちゃんは下唇を噛んで、私を見ていた。
「どこへ。」
「この世の外へ。」
私は息を呑んだ。私は「触れた。」のだ。 アヤちゃんは、私から目を離さなかった。 私の風呂敷荷物を見て、ほぼ事情を察していたのだ。私は口を開けた。言葉が出なかった。
アヤちゃんは背を向けて、歩き出した。その背が、恐ろしい拒絶を表しているようだった。私は足が動かなかった。アヤちゃんは遠ざかって行く。私は私の中から私が流失していくような気がした。小走りに追いすがった。
「おばちゃん、いまごろがっかりしてるわよ。」
「はあ、よう分かってます。私はいっつもこないして、時を失うて生きてきたんです。」
「生島さんは、やっぱりむつかしいことを言やはるわね、 好きなんやね。 時を失うやなんて、私らよう分からへん。」
「 は、 すんません。」
✤
全篇を何度も読み直す
、何度読んでも
頭の中に突っ張っている人生というものの 自分なりの理解を 鋭い刃で刺し込まれるような衝撃が伝わり 何が悲しいわけでもないのに 感情が揺さぶられる
誰にも どうぞ と言ってこの本を薦めたりしない
失礼だが あなたにこれを読んで どこまで 車谷長吉 がわかるというのか
生半可では読まないでください