「毎日が日曜日」を夢に見た時代

「毎日が日曜日」を夢に見た時代

働かされている時代だった

大学を出て競争をするように企業に入り、当たり前のように技術者として昼夜仕事に打ち込んだ

「なぜ働くのか」という疑問を抱くよりも前に、会社人間として燃え続けることが当然の時代だ

朝から深夜まで働くのは当たり前で、ふとある休日に「うちの子いつから喋るのや?」とツマに尋ねたことがあった

「ずっと前からやで」と答えられて驚いたという逸話もある

大相撲ダイジェストを見ながら夕飯を食べ、その六時間後には仕事に出かけた

大雑把に言えば三十万円の給料に三十万円の残業手当がついてくるほど働いた

だが、春闘・秋闘が活発で、年が明けるたびに給料もジリジリと増え続けた十年間ほどだった

二十四時間闘えますか」とテレビCMが叫んでいた

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個人が余暇を楽しむために有給休暇を取得できる会社は有る意味では恵まれていた

大きな会社は福祉も充実してると胸を張っていたし、その「甘い蜜」で社員を道具のように働かせた

経営側と現場との乖離は目に見えない形で広がっていただろう

会社がくれるプライドと行き届いた雇用条件を甘い蜜にして、モノをつくる企業技術者という誇りを持たせて働かせたのだった

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リーマンショックやリストラの嵐で社会が大きく揺れたときに四万人近いとも言われる社員を追い出した

同僚の中には阪大や京大、有名国立系、早稲田、慶應の仲間たちも沢山居て彼らも、日常から疑問を感じている側の人間も、職場を去った

辞めて以後、成功している人も耳にするが、日の当たらないところを彷徨った人も多かろう

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毎日が日曜日

あのころ、「毎日が日曜日」のように・・という老年の暮らしを夢見た時代があった

「あれは夢だったのだ」と今は断言できる

夢というものは、丁寧に積み木を積むように仮想の姿を目に見えるように積み重ねて形にするものだ

漠然と「宇宙旅行に行きたい」と寝言のように考えるものではない

夢を見ることは大いに結構なことで 目標にして日々邁進するのが人として充実した生き方だとも言える

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ひと息ついて考える

三十年という時間のずれで後ろを走っている子どもたちは どんな夢を胸に秘めているのだろうか

職場(社会)は時代の変遷で 大きく変化している

若者年齢層の人口減少、結婚人口の減少、少子化現象、共働きの一般化などは 当たり前のように思い浮かぶ

だが、さらに、各々なハラスメント、コンプライアンス、人言尊重、ダイバーシティ、貧困格差、高齢化の影響

など、面倒臭い事案が山のように積まれている

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三十年前には今とは違った荒波や逆流があって それなりに苦労をしながら乗り越えてきた

その時代に順応して世渡りをしてきたのかもしれないが、馬鹿げた時代だったのは間違いない

だから、子どもたちは三十年前を知ろうとはしないけど それで構わないのだ

昔が「古い」とか「遅れて」いると決めてかかるのは間違いと思うが、今は今で現実的に、今の新しい海で怒涛のように荒波は暴れているのだ

だから『古い水夫の出番はまったくない』ということだろう

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いつかはやがて

『毎日が日曜日』な暮らしを夢に見た

豊かで幸せな暮らしに 夢を抱き目標に突っ走ってゆく人生だった

それに間違いはなかろう思うが、甘かった面も反省する

しかしながら

どんな打ち手があったかと考えると「はて?・・」となってしまうのだ


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