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お、接待。

2月15日(木) 2018

義理チョコにゴディバを選んだのは、
もう、ずいぶんと昔だし、
そう何度もない、です。
が、さすが、ゴディバなのか、
たんに時代の風潮だったのか。
義理に込めた見返りを、おおいに
回収できた、ような気がします。

ええ。はい。
そんないやらしい時期もございます。

ここ二、三年で、
いかにお金をかけず、
いかに盛大に見せかけるか、、
つまり、費用対効果、
もっとエグい言い方だと、コスパ、を
徹底追及?したおかげで
強烈な低価格なのに、どすこいな笑顔を
いただけて、、
また、ちがった方面で、いやらしい女。
バレンタイのチョコテクは、
営業職のオプションとして、
思いがけず楽しんでしまった行事です。
(ちなみに、わたしの前任者は
 バレンタイン直前に、急逝されました。
 その後任のわたしはバレンタインデーに
 骨を折り、、一部で、魔のバレンタイン
 と、ささやかれています。苦笑)

義理たっぷりの、ささやかなチョコでも、
リアクションは皆一様。
こちらまで、うきうきするくらい、
義理先もうきうき。
なんだかんだ言っても、両者が
喜べるのは、うれしいものです。

心のなかで、申し訳なさ
めいいっぱいの小額なのに、、
ものすごーく喜んでもらえると、、
うれしさ90パー、後ろめたさ10パー。

もともと、お菓子が大好きで
もともと、人にお菓子をあげて
食べてもらうのも大好きで。
義理といえども、下衆な気分にはなれず
思いきり喜んでもらえるのも、
義理の至福。

ふっと、そんな自分の感慨、
その行為の背骨みたいな筋、
などなど、心当たりを見つけました。

それ、お接待、じゃないですか。

四国八十八か所巡礼。
子どもの頃から、見かけるお遍路姿。
菅笠、白装束、杖、
同行二人の文字が書かれた頭陀袋。
(「遍路」は春の季語、
 わりと新しめの季語です。
 「秋遍路」という秋の季語もあります)

独特のあの格好をして、
ただただ畦道を歩いているだけの姿を、
少し離れたところから、
ただただ眺めた子どもにとって、
それは、体のどこかが切なくて切なくて
しかたがない、説明のしようのない情緒を
まとった大人たちでした。
お遍路さん。
たいていの場合は一人、あるいは
たまに二人、数人。
はしゃぐ旅路ではなく、ひたすら
寡黙な一歩一歩がつなぎ合わされた
道のり。
時折り、お遍路さんがチリリンと鳴らす
鐘の音は、当たり前の日常を
静かに引き裂くほどの破壊力があります。

お四国さん、とも呼ばれる
八十八か所詣り。
父は母が亡くなってから行き、
母は行きたいと言ったまま死に、
わたしは、、いつだったかな、、
まだ20世紀の頃、、形式としては
一応、八十八か所を巡ったことになります。
御朱印のお軸も表装したんだった!
思い出した。。

うら若い家族の生き死にの境目を
傍観する羽目になり、
現実として受け入れられない歳月の
穴ぼこを埋めるよう、たまたま縁のあった
八十八か所詣りに参加しました。

といっても、巡礼というよりは
イベントに近く、
ツール・ド・空海というレース名で
自転車で全行程を走りぬくもの。
わたしは、そのサポートスタッフで
足手まといの大迷惑をかけながらも、
なんとか周りきりました。

四国で育ったのに、お接待の風習を
あまり身近に思ったことはなく、
このレースのスタッフに参加して
初めて「お接待」という言葉を
噛みしめました。
たぶん、よそ者スタンスでないと
肌で知ることはなかったんだろうな、
とふり返っています。
あるいは、お接待される側になって
初めて、そのありがたみを具体的に
感じられるものかもしれない、と。

mixi は、今も昔も
ほとんど活用してないのですが、
唯一、覚えているコミュティが
伊予弁、方言、の、それ。
めっちゃ面白くて、、そのなかで
目にしたコメントを覚えています。
「愛媛の人は、やたらめったら
 菓子折りをあげたり、もらったりしてる」
という内容。
たしかに!!!!!
すごい勢いで膝を連打しました。
何かにつけ、お菓子を
あげたり、もらったりするのは当たり前すぎて
なんの疑問もないままでした。

他県の人から見たら、そうかもしれない。

母は、九州で生まれ育ったのですが、
母の両親は、四国出身。
込み入った話をしますと、、、、
母の父は、戦争で兵隊経験あり。
学歴がないので下等兵だったそうです。
母方は、商売人が多く、
母の父、わたしの祖父も商売魂もりもり。
若い頃、長男なのに
ブラジル移住を目指したらしく
、、親に泣かれて、、祖父も泣く泣く
あきらめたそうです。
で!
なんと、ブラジルではなく、
四国から九州に移住?したのでした。
祖母は、こてこての伊予弁を
九州という終の地で、
意図してか、せずかはわかりませんが、
ぽろぽろと、こぼしていました。
「そやけんのもし」
「ほうよのもし」は、もう
祖母の声が聞こえてきそうです。
その祖母は、母が里帰りするたびに、
どんだけですか?!というくらい
チカラのこもった大量のお土産を
わたしたちに持たせてくれました。

こうして書いてみて、しみじみ。

こりゃあ、お四国根性だな、と。

余る分には、いくら余ってもいいから、
とにかく足りないなんてあってはいけない。
たんと、たんとお土産を持って帰れ
という心意気というか、ど根性というか。
これ、、わたしも刷り込まれています。笑

とにかく、人にあげたがります。。汗
お四国根性を発見できて、なんだか
ストンと腑に落ちました。

四国に限らず、
田舎特有のもてなしのスタイルに
ひたすら「食え、食え」があります。
卓上に、お寿司やお惣菜が
大げさでなくて、山盛りてんこ盛り。
一歩間違えると、それ、虐待になるから
、、と傍目は冷や冷や。

「お接待」も、いきすぎると「お節介」に
なってしまいがちです。
田舎の年寄りは制御が効かない、、
かもしれませんね。泣

わたしも、うっかりすると
義理を押しつけていまいか、と
我が身をふり返りました。
義理チョコ、まあまあ
わるくないと思うのです。

お四国根性、お四国気質で
チョコが溶けない程度に、義理をあたためて。

もてなし、おもてなし。
さじ加減、塩梅、も、見失わず。
なんですけれども、ガー。
たまには、お腹がはちきれる寸前まで
飲み食いするという特異体験も
田舎育ちとしては、捨てがたいものです。

和に親しんで運を開く。

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