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ぐるぐる、くるくる。

1月27日(土) 2018

つつがなく終えた一日。
ことなき「無事」のふた文字が
ことのほか、しみじみ
ありがたく感じた日でした。

このイベント?を体験してみて
一番、心に残ったのは
お抹茶を喫むのも点てるのも
まったく初めてだ、という女性に
「茶道って、日本人の全員が
 やったほうがいいですね」と
言われたこと。

桜並木で有名なエリアに住んでた頃。
一斉に薄ピンクに色づくと、人々も
また一斉に花の下へとたむろして。

試してみたがり病のわたしは、
住んでたマンションの目の前で
お抹茶とお菓子のセットを
当時の茶友といっしょに
販売してみたのでした。
タートルセーターの上に
ポリエステルの着物という
なんちゃっての格好で。
甘酒やおでんが売られ、
ケータリングもぽちぽち
広がっていた頃かな。

お試し、なので、最低限の価格で。
500円。
結果的に、元価が回収できたくらい。
なので、実質的には赤字。
とにかく、、、、
お金をとる?もらう?いただく??
ことに、極端に弱い。
いろんな原因は思い当たるも、
解決はいまだにみつからず。

今回は、自分のイベントとして
多少のレクチャーをして
「道」を知ってもらう、が
わたしの目的で、それ以外、
なるべく考えたくなかったのが本音。

初めての試みでもあり、とにかく
多少の赤字はよし、でやってみました。
当たり前ですが、、知り合い以外は
面識がない。。
その人に、お抹茶を
有料でふるまうこと、プラス、
体験とレクチャーで、900円。
誰からも(来ない人にも)
安いと言われても、、もう
価格を公表しちゃったしなあ、と。

気持ち的には、お値段お勉強しました、
くらいで、ちょうどいいと思いました。
不安が90パー。
師匠は、「大丈夫よ、できるわ」と
おっしゃってくれたので
それは大きな支えでした。

このイベントと、まったく違う方面で、
思いがけないトラブルがあり、
今までに、ちょっとない異常な
ストレスを抱えてしまいまして。
もともと他人への警戒心が
さらに強まってしまい、
いっそ空でも落ちてくれよ、の勢いで
臨んだ当日でしたが
まったくもって杞憂でした。
終わってみれば、
そんな心配も不安も、どこ吹く風。

どんな状況もあり、が、
デフォルトでないと
まあ、茶人とは言えませんから。
これもまた、お勉強なんだ、、
現実はなによりも雄弁!と
言い聞かせて。

ぜんぶ初体験の人が、とても
うきうきしてる様子が伝わってきて、
こちらも、のりのり。

お点前以外の、生活の一例をあげるよう
心がけました。

「意味はあっても、ルールはありません」
バシッと言ってしまったようです。
その人が、小さく拍手してくれました。
「知識を武器にするのは下品です」
と、調子にのって、またもや、バシッ!
すると、今度は、
大きな拍手をしてくれました。
そして、くだんの
「日本人は全員、
 お茶をしたほうがいいですよ」
という、うれしい言葉をもらったのです。

茶道具として作られた、お茶道具は
とくに絵柄のあるものは、お茶盌の
正面がわかりやすく作られています。
無地でも、茶道具として作られると
よくみれば正面がわかります。
見立ての茶盌、、
たとえば、カフェオーレボールとか、
茶道用ではない陶芸家の茶盌とか、
まあ、ちょいと使いにくい器を
抹茶茶盌に使用する場合は、
お点前をする人が
その器の正面、顔を決めてあげるのです。

茶盌の正面を、
お客さまの正面にお出しする。
お客さまは、出された正面を、
ふむーと、よく拝見し、
心のなかで神仏に感謝して
少し押しいただいたのち、
謙遜の思いで、正面を避けるために、
二度、お茶盌を回します。

初心者以前で、初体験のその人は
「茶道の作法は、ひたすら
 お茶碗をぐるぐる
 くるくる回してばかりのイメージ」
というコメントがあり、なるほど!
と思いつつ大笑い。

それぞれの動作に意味がありますが、
正解、不正解を問うものじゃないんです。
意味はあってもルールではないので、
とにかく安心して、ゆったり
召しあがってください。
とお声かけし、それは、わたしの
暑苦しいほどの本心でした。

たとえば、、お稽古ごとのお月謝ですが
封筒にお金を入れるとき、できれば
裸でなくて、お懐紙に包むほうがいい。
新札を使うのも、心がけたい。

、、祝儀不祝儀の入れ方はご存知だと
思うのですが、、
お月謝は普通、一般的に、祝儀の体裁で
お札の顔を上向きに入れます。
これが多数派です。ただし、、
ごくごく少数派として、、
不祝儀の体裁で、顔を下向きにする場合が
まれにあります。本当にまれですが。
それは、謙遜の意味で、頭を下げている
という思いを込めた形です。

どちらも正解なんです。

だから、片方だけ知っている人は
自分が知らないことを棚に上げて
「それは間違い!」と指摘する人も
少なくありません。
だからと言って、
どちらも知っているのが
偉いわけでもありません。

知らない人に対して、
知っているだけで優位に立つ、つまり、
知識を武器にするようなことは、とても
下品なことだと思います。(パシッ!)

実際に、本当に、そう思います。
そう痛感する場面を何度も見てきました。
お稽古だけでなく、むしろお稽古以外で。

お茶を習う、茶道に親しむ、というのは
何かを知るためのものではなく、
何かをいたわる心に気づいていくことです。
というのが、現段階ので、わたしの答。
人をいたわる、自分をいたわる、
ものをいたわる、時をいたわる、
場をいたわる。

知ることを目的にするのも、別の意味で
楽しいこともありますが、
同じくらい見失うことも多いと思います。
自転車と同じで、身体で覚える、に近い。

そうはいっても、、やっぱり、、
茶道を知ってる人との居心地は、
得もしれずいいものです。
茶道、という共通点があるだけで、
阿吽の呼吸を、すんなり生み出せる、
この経験は、醍醐味になります。

(余談ですが、、インターネットで
 出会った茶友たちとは、ほんとに
 どんな歳月が空いても、男女ともに
 すぐに当時に戻れるくらいの仲間と
 言っていいと思うのです。
 妙齢の男女が集まり、恋も愛も
 花咲いたり散ったり、いろいろ。
 なぜか、わたしは、絶対に茶人と
 結婚するのだけはイヤだな、と
 かたくなでした。
 よく、なぜ?と聞かれましたけど、
 なんとなくイヤ。。
 朝五時、茶室にて、ご夫婦で
 互いに喫する。という
 素晴らしすぎる人もいましたし、
 ええ?!というカップルが生まれたり、
 モテ男とモテ女が結婚するまでに、
 かげで泣いた人もいたり。
 なんつっても妙齢の男女でしたからね。
 一瞬、一人だけいいかな、と思ったら
 、、、、、なんと詐欺師でした。
 生まれて初めて出会った詐欺師、
 じつはその後、ぜんぜん違う分野で
 計3人の詐欺師に出会います。苦笑
 わたし自身は、まあ、そんな被害も
 出せるものがないので、今じゃ
 笑い話です。
 茶人と付き合うって、超めんどくさそー
 というのが強かったな。
 あとは、、世界が重なりすぎて
 面白くなさそうってのが大きいです。
 超余談の超脱線)

で、なんでしたっけ。
茶道の醍醐味も、なんでもそうですが、
深みにはまると、必ず
危険が孕んでいるという現実です。はい。

呼吸が揃う、という意味では
お能も、そうです。
お能の謡では、指揮者はいないのに
阿吽の呼吸で、一糸乱れず揃います。

(プロには習えなかったので)
お素人さん(といっても玄人肌)について
自分でもやってみたら、そこそこ
できるものですし、とにかく面白かった。

また習いたいかと言うと、、そうだな
人生が二百年あったら、もう少し深めたい。
でも、今は人生多くて百年だから、
だったら別のなにかを学びたいかな。。

なんだか、また、なんとも
しまりのない終わり方で、すみません。

息を合わせる、をときどき意識するのは
いいかもしれませんね。
和に親しんで運を開く。


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