麻原彰晃呼びの危険性

去年の7月、オウム真理教元幹部の死刑が執行されたのは、僕にとって、一年近く経った今もなお、記憶に新しい出来事だ。
これに関する是非は色々(僕は死刑廃止派だから、ちなみに反対)あるが、それは置いといて、

そこの君、なんで麻原彰晃って呼んでるんだ?

彼の本名は松本智津夫で、麻原彰晃はあくまで通称でしかない。なのにメディアは彼のことを麻原彰晃(だいたいその後に本名松本智津夫と補足されるが、順番が逆だろ!)と報道して、それにつられてみんな「ショーコーショーコー!」。こんな異常事態、誰か疑問に思わないんだろうか?
麻原彰晃ってのは間違いなく宗教性を帯びた呼称だ。それを躊躇いもなく使えるのはどう考えたっておかしい。だから僕は絶対に彼のことを麻原彰晃とは呼ばない。

しかし、間違っているとは思えないこのポリシーが原因で、ちょっと嫌なことがあった。
とある知人たちとオウム真理教の話になり、いつものように彼のことを松本智津夫か松本、もしくは智津夫と呼んでいたら、「智津夫って、友達じゃないんだから笑」とからかわれた。その場に6人、大人がいたが、そのからかい文句が飛び出すと一様に馬鹿にし切った目で僕を見て笑う。
いやいやいやいや、どう考えたって僕の方が正しいはずだ。松本智津夫呼びにはオウム真理教を、客観視してる表明が含まれているんだから。この知人、日頃から僕の言葉尻を捉えては、いじってくる、要はイヤな奴なんだが、今回は、不快さだけじゃなく、恐怖さえも感じさせた。自分の頭で物事も考えずに、流されるままに生きているだけのバカな連中がマジョリティを占めて、正しいマイノリティをおもちゃにしてしまう恐ろしさを。

まあ、所詮はオウムと関係ない一般人のお話。そう取り立てることもないと言われたらおしまいなんだが、実はこの話題、もっと深いところにリンクしているのだ。

元オウム真理教幹部に上祐史浩という男がいる。説明しなくたってご存知だろう、ああ言えば上祐の上祐だ。

オウム幹部の中では珍しく、逮捕はされたものの、地下鉄サリン事件等の重要事件に関与していないことが証明され、死刑判決を免れて、今はオウム批判を教義とする小さな宗教団体、ひかりの輪の代表を務めている。

この上祐がオウム幹部死刑執行の会見で麻原と呼ぶのだから事は穏やかでない。

当たり前だが、元オウム真理教の信者、それも幹部だった男がつかっていい呼称なわけがない。下手したらまだ信仰が残ってるんじゃないか、勘ぐられたっておかしくないぞこんなの。良識がある大人なら咎めるべきだ。

さて、誰がこれを批判した?メディアが出来るわけがない、彼らも麻原麻原言ってるんだから。誰もやらないんなら俺がするしかあるまい。使命があるからこそ、僕はこの小さいように見える大問題を批判する記事を書いた。

批判があるのならどしどしコメントしてほしい。

#オウム真理教
#エッセイ

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