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クリアするのに18年かかるアナログゲームをクリアした(友人が)

 十年くらい前に休刊となったが、かつて角川書店が『ザ・スニーカー』という雑誌を出していた。

 角川スニーカー文庫というライトノベル・レーベル(これはまだある)の母体雑誌にあたるもので、その誌面においてある時、『読んだモン勝ちキャラねっと』と題された“とあるゲーム”が開催された。主催者は、作家の清涼院流水氏。

 ゲームのクリア条件はシンプルで、「この雑誌および、自身の最新作である『キャラねっと』の初版の二つを所持し、“ある時、作中で聖地とされる“ある場所に赴いて、合言葉を告げる」こと。

 その条件を満たした者には、すばらしい景品を用意している――。

 時は2004年だった。雑誌の表紙は『されど罪人は竜と踊る』で、付録にはその下敷きがついていた。掲載されていた『涼宮ハルヒ』は、独特の文体と共に内容が評判になりはしていたが、その後アニメ化し、とんでもないブレイクを果たすのはまだ2年も先という頃だった。最新のゲーム機はプレステ2だったし、まだDSも出ておらず、みんなゲームボーイアドバンスに通信ケーブル を刺していた。その時、誌上で“約束の日時”として指定されていたのは『2並びの時』、すなわち2022年2月22日、午後2時22分。

 18年後

 それは18年間、初版本と雑誌とを所持していた人間が“勝者”となる、というルールのゲームだった。

18年は長いという話

 べつに改めて説明することでもないのだが、18年はすごく長い。

 であるからして、純粋に、これはゲーム自体の難易度が高い。

 ルール上、書籍、雑誌ともに、いつ、どういう方法で手に入れてもいい(極端な話、2022年2月21日に入手してもいい)とされてはいたが、当然、時が経てば経つほど入手はむずかしくなっていく。持っていても、紛失する可能性は高まる。参加するつもりでいたところで、18年前の約束を覚えておく、という芸当がそもそも一般に困難だし、雑誌には「この『2並びの日時は君の中に確実に刻み込まれた』」というような自信満々の文言もあったと記憶するが、18年はそれが薄れていくのにもじゅうぶんな時間だったと思う。

 他にも、細かい決まり事がいろいろとあった。なかんずく大きいのが「他人にこのゲームのことを話してはいけない」というルールだ。誰かに説明した者は失格。された者も失格。抜け道として、人に直接の説明はせず、「ちょっとこの雑誌の、ここを読んで」と勧めることは認められていた。ゲームの存在を誌面上で知り、その内容を誰にも話さなかった者だけが参加資格を持つ、というのがこのゲームのルールだった。「もしネット上でばらす者がいて、拡散されるようなことがあれば、ゲーム自体の中止もあり得る」とも書かれていた。

 それはつまり、自分がどれだけ気をつけていても、だれかの悪意次第で全員の失格があり得る、ということだ。

 2004年、まだツイッターはなかったが、それでも、もはや個人が情報を発信する手段に困るような時代ではなかった。個人サイトは隆盛を極めていたし、匿名の掲示板への書き込みも旺盛。ブログサービスも徐々に普及し始めていた。そんな中で、「雑誌上で公に開催され、十八年間ネットで内容の拡散がないまま続く秘密のゲーム」というものが成立しうると信じていた人は、この当時ですら、そう多くは居なかったと思う。

当日

 先にイベントの顛末を。

 後でも書くが、自分は雑誌を処分してしまったため、記念参加だった。「イベントの結末を見届けたい」「いちおう書籍だけ持っていけば、ワンチャン雑誌だけの人にクリアを託される可能性がある」など色々考えてはいたのだが、現地まで行ったのは、付き合いの長い友人がクリア条件を満たしていたので、その付き添い、という理由がいちばん大きい。

 作中で聖地とされている、集合場所として指定されていたのは明治神宮で、当日は二時間ほど前に原宿駅に到着した。イベントに際して友人の気合いの入れようたるや相当なものであり、「下見に行くけど一緒に行く?」と誘われたために実はわれわれは前々日にもいちど二人で神宮を詣でている。

 その機会に、現地が駅から近い(というか隣接している)ことや、境内に関しても迷いようがないことは確認していたが、「電車が止まった場合に別の手段を模索する時間が欲しい」「最悪、途中からなら自転車レンタルで行ける」「ロンダルキアへの洞窟のようなループする路地にうっかり迷い込んだ場合に、謎を解いて脱出できる余裕を持つべき」といったお互いの中で無限にわき続ける不安要素をケアしていたら自然とむちゃくちゃ早く到着した。

 すこし時間をつぶして、約束の地(大鳥居)現地到着が13:30ごろ。だいたいその時で、10~20人ほどの人間が所在なさげにその周りで時間を潰していたと思う。

 それを見た時、

「かなり多い」

 というのが第一印象だった。

 全員が全員“そう”とは限らないものの、あきらかに『キャラねっと』と思しい本を読んでいる人もちらほらと見受けられる。

 先にも述べたが、このイベントはまず参加のための条件を満たすのがむちゃくちゃ難しい。しかも内容がうさんくさく、実際に開催されるのかも正直定かではない。なんなら雑誌上で「恐らく10人以下」と書かれていたはずでその想像にも一定の説得力があり、その上このご時世で外出も遠慮しがちである。そういうハードルをすべて越えた人間が、おなじ場所にこれだけ集まっていることにこの時点で、若干の高揚を覚えていた。

 徐々に約束の時刻が近づくに伴い、人数がどんどん増えるにつれて高揚もよりつよくなる。途中、「トイレ行っとかなくて大丈夫?」と友人に水を向けると「行っとくか」という話になったので、いちど離れて帰ってきた。

 また人がすっげえ増えてた。

 うお、みたいな声がでた。「え、これ百人越えてるな」と二人でぼそぼそ話した。

 大鳥居の周囲で、参道を塞がないよう両サイドにわかれ、傍目にかなり圧のある人数が(おそらく、お互い知り合いでもなんでもないこともあり)ソーシャルディスタンスをそれぞれなんとなく保ちながらずらっと並んでいる。

 当事者ながら何事かという感じだったし、警備や宮司の方が集まりだしたのもそれくらいだった。なにせ最終的には二百人を越えたと思う。「あれそうかな」と友人が差した鳥居のすぐ近くでは何人かが神社の方々に詰問されていて、たぶん色々説明しようとしているのが流水先生とその関係者なんだろうということが若干遠目にもわかった。

 現地を撮影されてた方のツイートで、人が集まっている(のと、鳥居らへんで聴取を受けてる関係者の)様子が確認できる。

 警備の方が忙しそうに「その小説の内容でここに集まるということになっているらしくてですね」とどこかに連絡しているのをみた。鳥居のほうから漏れ聞こえる声が「だって何千部だか何万部だか売れてるんでしょ? もしそんなに集まられたらどうしようもないんだから」と言っていた。あっ、これすっごいマジで怒られとんな、というのがまざまざと伝わってきて、とんでもない居たたまれなさで背中にいやな汗をかいた。

 自分がそうだったし、(たぶん企画者含めて)全員そうだったと思うのだが、「自分と、まあ精々数人しかこない」というつもりでいたので『大人数で集まる』という意識が、事ここに至るまでたぶん誰にもなかったのだ……。

2並びの日時

 そういう空気の中で迎えた午後2時22分。

 約束の時刻に、解放された流水先生(らしき方)が「じゃあ『キャラねっと』関係で来ている方はこちらへ……」と遠慮がちに号令をかけると、鳥居を囲んでいた大きな輪がぞろぞろと縮まった。全員に取り囲まれる中、穏やかな声で「これだけ集まって貰えたことに感謝しかない」という旨のあと、人数の規模感が想像を超えすぎていて、この場で対応するのが不可能であることを謝罪され、「今後の対応については近日中に必ず自分のサイトで案内する」との発表がされてこの場は解散に。

 いくつか質疑があり、その際、このゲームに関してのネタバレ解禁も明言された。

 ――という訳で、18年越しのイベントは、関係者が神社の人にマジ説教を喰らうところをそっと見守ったのち数分で何事もなく解散、というオチがついて終幕を迎えたのだった。

参加と脱落

 以下は、個人的な参加経緯について書く。

 2004年当時、自分は『ザ・スニーカー』を購読していた。清涼院流水氏の作品についても『コズミック』や『ジョーカー』、『カーニバル』シリーズを読んでいた(たぶん参加者の少なからずがそうだったのではないかと思うが、メフィスト賞周りは自分にとっても青春の味だった)から、『キャラねっと』についても購入しており、自然と参加資格を満たしていた。内容を面白がって人に「これ読んでみてよ」とスニーカーを勧めると、ノリのいい友人も一人、自身のぶんを購入した。

 何年かはしまい込んでいたはずだが、その雑誌を、自分が捨ててしまった理由については曖昧で、よく覚えていない。たぶん当該号以外もスニーカーを一時期とっていたのを、大掃除かなにかの時にまとめて処分してしまったのではないかと思う。「押し入れだいぶスッキリしたわ」と言うと、友人に「え、スニーカーは?」と聞かれて愕然としたやり取りを覚えている。が、そのショックも時間と共に徐々にうすれて、『読んだモン勝ちキャラねっと』のこともまた、自分の中で忘却されていった。

思い……出した!

 上記友人とは、幸運と相手の人柄に助けられ、その後も交友が続いた。年単位で連絡をとらない時期があっても、会えばそのたび、会わない期間などなかったかに親しく話すことができた。2018年頃のことだったと記憶するが、やはり久々に彼を家に招いた際、友人ふと思い出したように「そういえば、あれ、だいぶ迫ってきたね」といった。

 “あれ”とは?

 こちらが訝しむと、友人のほうもまだ、記憶をうまく掘り起こしかねているように顔をしかめた。「なんだっけ、あれ、ホラ……あの……」と彼が身振りを交えながら口をもごもごさせている時、なぜか前世の記憶がとつぜん蘇ったかに、自分の脳裏に天啓の如く閃く名前があった。

「あれって……。あれ? その……清涼院流水?

「今、なんでわかった?」

 言い当てられた友人のほうがむしろ若干困惑していた。正直に言うと俺もわかった理由がわからなくてちょっとびっくりした。へたすると10年は完全に忘却し、べつだん互いに強いて口に出すこともなかったゲームのルールが、未だ自分の心の中のカレンダーにきちんと消えずに残っていたことを確認した瞬間だった。『2並びの日時』は、確かにわれわれの心の中に刻み込まれていた。

「まだ俺は両方持ってるよ」

 と友人は言った。

悪あがき

 とはいえ、さほど再参加の意欲が高かったわけではない。それでも、いちど思い出してからは、ふとカレンダーを目にする度「あと何年だなあ」と思うことも多かった。だから2021年末、友人へ出した年賀状には自然と「2月22日がもうすぐですね」と書いたし、友人からは「スニーカー、どうにか手に入れてもろて」と返ってきた。

 いちおう今年になって、自分も手に入れられないものかとバタバタしてみたのだが、「駿河屋に一度入荷したもの(3500円くらいだった)がブラウザを更新したらまぼろしだったかに売り切れていた」という一件の他は、メルカリに2万前後で2度出品されたくらいで(友人は「俺が出すから買おう」とまで言ってくれたのだが)、自分のほうは残念ながら諦めるに至った。

ゲームクリア

 現地での解散後に、原宿駅のほうへまで集団でぞろぞろと歩き、境内を抜けたところで流水先生が「人の邪魔にならないよう端のほうに寄って、もしよければ一言ずつだけでも、お一人お一人とお話できれば」というようなことを言った。

 参加条件を満たしていないので、本来自分にそういう権利はないよなあ、という後ろめたさはありつつも、企画の景品に関しては後日対応であってこの場でどうこうではないし、長いあいだ楽しませて頂いたことに一言お礼申し上げても罰は当たるまいとその最後の催しにも友人と一緒に参加した(これはちょっとごめんなさい)。一人一人が短くお礼を言い合うようなやり取りの後、「それじゃ合言葉は」と聞かれ、18年前に決められたキーワードをそっと耳打ちしていくと「こんなに人に耳打ちされる機会もそうそうない」と笑った流水先生が印象的だった。

 その後で、自分と友人は境内に戻って参拝し直した。「無事済んで良かった」というようなやり取りの折に「僕らの友情も18年間無事だったね」みたいなことをさらっといわれたので、「まあ、それが何よりだったよね」という感じで返した。帰りに、修学旅行なのか、社会科見学かなにかだったのか、高校生らしい集団とすれ違って、「18年前に、あの子らまだ誰も生まれてないよ」と言ったら友人が笑っていた。

最後に

 まず、明治神宮の皆様並びに参拝者の皆様には、お騒がせしましたことを参加者の一人として深くお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

 また、清涼院流水先生と、あの場に集まった方々全員に感謝を申し上げます。あの人数が18年という期間、“秘密”をひとつずっと共有していたんだ、ということ、また開催を信じて集ったのだ、という事実を目にしたことは、何度思い出しても口もとの思わずニヤけるような体験です。たぶん、もう二度とないという気がします。

 雑誌に掲載された『読んだモン勝ちキャラねっと』には「ゲームに参加しない人も、18年という時に思いを馳せて貰えれば」というような一文があったように思います。作品を読み返すなどしつつ、この18年をいま懐かしくふり返っています。

 皆さんの18年もどんなだったか、よければ教えてください。

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