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第二頁「よそほひに心尽くし」

私こと、ありさ丸と結髪師の聖子さんは、かれこれ8年ほどの付き合いになります。それぞれ住む場所が海外に行ったり東北に行ったりしながらも、この8年間、髪を結ってもらっては沢山遊んでいただきました。

その時々の髪の長さや雰囲気に合わせて結い上げて、着物もなるべく時代に合わせ、外へお出かけするのです。
最初は少し気恥ずかしくも、少しすれば慣れてしまうもの。
顔の周りはすっきり結い上げてしまうので、おでこやほっぺに邪魔になるものはありません。
季節ごとの心地よい空気を、お顔にたっぷり浴びることができます。
頭頂部の髷や、それにかかる手柄(布)、簪などの装飾品で、自分の頭全部が芸術品になったような気がするのも何とも楽しい。
美しく整えられた毛流れは、自分がもつ髪をより一層輝かせてくれます。
髪型ひとつで、こんなに心踊るものかと、いつも驚かされたものでした。

ある時、
「昔の人は、どうしてこんな複雑怪奇な髪型をしてたんやろー?」
そんな問いをかけると、聖子さんは
「美意識っていう、その一言につきるねぇ」
そう答えてくれました。

いろんな事情や他の要因もあったことではありましょうが、
美にかける女性の想いが、
長い長い歴史の中で、こんなにも装い豊かに、日本髪を発展させることに大きく影響したのだろうと思います。


「よそおう」とは「綺麗にととのえること」
ご飯を「よそう」のは単に「盛る」のとは違います。
食べる人へ、より美味しく見えるように「よそう」
お米を育ててくれた人へ、感謝の気持ちをこめて「よそう」
「装う(よそおう)」という言葉には、誰かを想う温かさが感じられます。

そんな「よそほひ」に心を尽くしたかつての女性たちも、
誰かを想いながら髪を梳き、毛をひとすじ、ひとすじ整えたのではないかしら。
もしかしたら自分のひいおばあちゃんや、そのまたおばあちゃんも…
日本髪について考える時、ついつい想いを馳せてしまします。

時代が進み、いろいろなものが移り変わっても、人の想いや温もりは変わらないと思います。いままでも、そしてこれからも私たちが生きる上で欠かせない心の栄養分です。

ー「美しい」という言葉を作った、私達の先祖は、これを悪い意味に用いたことはありませんでした。それは「心のまこと」という意味です。ー
「中原淳一 エッセイ画集2 ひまわり みだしなみ手帖」より


「日本髪って歴史資料として面白いなー」から
「もの珍しさの向こうに、表面的じゃない、もっとキラキラした心あたたまる何かがみえる…!」そんなことに気付かされたあの日から、いつか沢山の人にこの気持ちをお伝えしたいと思っていたのであります。

なぜ、今この時に動き出したか。
そのお話は、また後日。




和顔美人づかん
ありさ丸


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