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Oh!透明事件! 〜『名探偵コナン 紺青の拳』を見たゾ〜

観客全員の要求にこたえるのはラクじゃない。
原作マンガアニメシリーズ映画スピンオフと、今やコナンコンテンツは様々な層の歴史と愛着が折り重なったミルフィーユだから、万人を満足させようと思うとどうしても錯綜した内容にならざるを得ない。
そんなわけで、劇場版最新作『名探偵コナン 紺青の拳』にはうじゃうじゃわらわらキャラクターが登場し、全員が好き勝手に行動するうちいつの間にか重要事項の山が築き上げられてしまう。
・二件の殺人事件の謎
・“紺青の拳(フィスト)”と呼ばれるブルーサファイアをどのようにして盗み出すか
・空手大会における二人のカラテ家の対決
・さすらいのカラテ家(京極真)と財閥令嬢(鈴木園子)の恋
・高校生探偵(工藤新一)と髪型アトムねえちゃん(毛利蘭)の恋
・シンガポールの土地利権をめぐる争い
・現役海賊たちが巻き起こす無目的な大暴れ
・撮影に全面協力してくれたマリーナベイサンズの観光PR

盛りだくさん。
これらすべての要素を、観客を飽きさせないよう、不自然に思われないよう組み合わせなければいけないのだからたいへんだ。
結果どうなっているかというと、もちろんむちゃくちゃである。ツッコミどころ満載。それが楽しい。観客はハラハラドキドキ、時に吹き出しながら映画を楽しむだろう。

それにしても、それぞれの要素について製作側が下した価値判断、重要度の位置付けは興味深い。
このうちもっとも重要度が高いのが、“さすらいのカラテ家と財閥令嬢の恋”なのは言うまでもないだろう。
今回の主人公は明らかにこの二人で、他のすべては(コナンでさえ!)恋愛のサポート役に過ぎない。
しかし反対にもっとも重要度が低いのが、ミステリードラマの核心たる要素=“二件の殺人事件の謎”である点には唖然とさせられる。
被害者二人はただセクシーなだけのネーちゃんで、まったくと言っていいほど人物像を掘り下げられない。必要最低限の殺される理由が提示されるだけ。
(余談だが、このセクシーさはもしかしたら問題にされていいかもしれない。二人はともに美しくセクシーに描かれているものの、お胸はぺったんこ。つまりアニメのキャラ表現としてわかりやすいセクシー属性が与えられているわけでもなく、バックストーリーがあるわけでもなく、実に中途半端なのだ。セクシーには描かなければならないがセクシー過ぎてはよろしくないという配慮が「オタク層だけでなく女性や家族連れも見に来るから」というマーケティングに関わって働いているとすれば、ルッキズムの問題は根深い)
あまつさえ、コナンによる謎解きが披露された後も、具体的に、事件のどこにどのようにだれが関わったのか、結局のところ殺したのはどいつなのか、ちっともわからないのだ!(単に僕がバカな可能性もあるが)

殺人事件の印象を弱め、観客をあいまいな記憶喪失に誘う姿勢は、東宝の公式Youtubeチャンネルによる予告編にも明らかだ。
そこではまるで殺しなど起きていないかのようであり、被害者と犯人の顔は一度も映されない。
内容紹介を読んでみよう。
『怪盗キッド、絶対絶命!?
かつて海底に葬られた【伝説の秘宝】を巡り
シンガポールの謎と最強の空手家・京極真が牙を剥く!
いま、“眠れる獅子”の巨大な闇が目を覚ます-』
いやコナンわい!!!!!!!!!
とうとう探偵まで消えた。被害者も加害者も探偵もいなければ、もちろん事件など存在するはずがない。

隠蔽されるのはミステリーの中心となる事件だけではない。
映画前半、マリーナベイサンズのホテルが数ヶ所爆破される。なぜかはわからない。後半にさしかかると、海賊たちが攻めてくる。これも理由はわからない。真剣に見ていたのに全然わからなかったので、やっぱり僕はバカなのだろう。
あんな人が密集してそうなとこでの爆発もすごいが、海賊たちはタンカーで陸地につっこんだりロケットランチャーでよくアイドルが水着撮影を行うマリーナベイサンズの屋上部分を爆撃したり、やりたい放題。
いったいこれで何人死んだのか!?
どう控えめに見ても数十人は死んでいるはずだ。
ところがゼロなのだ。少なくとも映画のなかでは、だれも死んでないようにしか見えない。そもそもこの点には劇中で一度も触れられない。みんな空手と恋愛と謎解きに夢中。

この通り、事件どころか死そのものを隠蔽してはばからない態度(ミステリーなのに!)には、マーケティングを重んじる姿勢が全面に表れている反面、もっと単純な欲望が隠されているようにも思う。
つまりこうだ。
だれもが美しくセクシーな女の背中にナイフを突き立てたいと願っている。
だれもがマリーナベイサンズのようなけしからんふざけた建物は今すぐ爆発すればいいと思っている。


ところが、真実の欲望を口にした途端、人はたちまち良識によって殴られてしまうのだ。いま君が僕にフィストを振り上げたように。
しかし、どう考えても女は殺したいし高層ビルは爆破したい。そうではないか?
もしそうでないなら、どうして見たところ必要もないのに、無駄にセクシーな女が殺されるのだろう?真っ白なハイヒールを履いたブロンド美女が、背中にナイフを突き立てたまま、カツカツ、ヒールを鳴らし、よろめき歩くシーンが冒頭に置かれているのはなぜだろう?
これまた必要なさそうなのに、例のインフィニティ・プール、マリーナベイサンズのインスタ映えスポットが爆撃される理由は?
思い出してほしい。これはタランティーノの映画でもブライアン・デ・パルマの映画でもない。日本が世界に誇る国民的アニメ、名探偵コナンの最新作なのだ!

理由は、観客全員が一人残らず100%確実に抱いている無意識的願望を叶えるためである。
殺したい & 壊したい。
とはいえ、これをそのままやってしまうと袋叩きにあう。なにより『名探偵コナン 紺青の拳』の監督はタランティーノでもデ・パルマでもないのだから、殺したい & 壊したい願望が生む結果としての現実、死や殺人の陰惨さはぜひとも隠されなければならなかったのだ。
大事なのはこの後。
見せ場でもない事件をわざわざ発生させておいて、続いてどういうわけだかそれを隠蔽する。
一見不可解なこうした手続きを通すことによってはじめて、観客は自分自身の危険な欲望に気づかないまま、フィクションの中で安全にその夢を叶えることができるのだ。
つまり、「女を殺したいなんてけしからん!」と怒り狂いながら女を殺し、「マリーナベイサンズを爆破したいなんて不謹慎だ!」と憤りながらマリーナベイサンズを爆破できる。

素晴らしいではないか!

フィクションは、めんどくさい倫理的責任を束の間忘却させてくれる快楽装置である。
さきほどはデ・パルマではない、と言ったが、マーライオンが血のように真っ赤な噴水を吐き出す悪夢的なシーンなど、じゅうぶんにデ・パルマ的な映像の快楽があった。
これを読んで僕のことを変態鬼畜クソ野郎呼ばわりする向きには、ごめん、コナンくんには負ける、と言っておこう。
殺人事件について話しながら、彼は淡々とこう口にするのだ。
「(そうやって)彼女は背中にナイフを突き立てたままアーケードまで移動したんだ…」
なんという恐るべきセリフ!コナンくんには感情がないのだろうか!?
そういやこいつ、乱暴狼藉の限りが尽くされるマリーナベイサンズを横目に誰一人助けようとせず、ただてめえの承認欲求を満たしたいがために犯人を縛りつけてじっくり自分の推理を聞かせてたなあ。
おーこわ😱😱😱

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