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松永天馬の三つの人格、あるいはジャン・コクトー 〜存在の詩人、同語反復の批評家、分裂のスタイリスト〜

「我は傷口にしてナイフ 」
ーージャン・ジュネ


✩ジャン・コクトー

コクトーの映画『双頭の鷲』を見た。
映画、と呼ぶのはこの場合正確ではない。
詩人、作家、劇作家、小説家、画家、そして一流のエスプリを備えた稀代の“スタイリスト”ジャン・コクトーは、映画のフレームに詩情(ポエジー)を持ち込んだ自身の鮮烈な作品群を、“映画”=“シネマ”とは呼ばず、“シネマトグラフ”と呼んだ。
それは、生涯にわたって多面的・分裂的な活動を続け、サーカスの綱渡り芸人のように、あちらからこちらへと、あらゆる芸術領域を軽やかに跳び回りつづけた彼の、映画という表現形式に対する畏敬の念のあらわれであり、詩人としての矜恃でもあったろう。

コクトーが映画について書き残した文章を集めた『映画について』という本の編集者序文において、訳者である梁木靖弘は、コクトーの映画作家としての姿勢を次のように要約している。

〈ジャン・コクトーは口ぐせのように、自分は真の映画人(シネアスト)ではないとか、シネマトグラフは自分の仕事ではないとか、映画を使うのは、詩や小説や戯曲やエッセイでは語ることしかできないのに、同じものを示すことができる媒体だからとか、好んでくり返したものだ。「私が映画(シネマトグラフ)に専念しないのは、よその分野に全力を傾けていたからであり、映画をやるならそれだけに打ち込まねばならないからである」と、1923年に彼は言いきった。そういえば、彼は1930年に処女作を、1960年に遺作を撮影した。この両作品のあいだに、ほぼ十年にわたる活動中止期間が二度と、十年の活動期間(1942年から52年)とがある。〉

さらに続く文章では、映画作家としてのみならず、表現者としてのコクトーの姿勢が明らかにされる。

〈アンドレ・ジードが「私のことを次から次へと変わる流行に便乗していると吹聴したのだ。それこそ反対に私が、あるときは本で、あるときは演劇で流行と戦っているというときに。実をいえば、私の目的はただ手さげランプをあちらこちらに向けて、私につきまとう主題のさまざまな顔を照らしだすことでしかなかった。主題とはたとえば、存在するものたちの孤独、目覚めて見る夢、恐るべき子供時代などだが、この子供時代から私はけっして逃げおおせはしないだろう」。〉

この文章は、何度でも繰り返し、慎重に読まれる必要がある。表現を巡るすべての本質が見事に言い尽くされているからだ。
なにより見逃してならないのは、あるひとつの作品の内部における主題(テーマ)と形式(フォーム)の対立が明確化されていることだろう。
表現=“ex-pression”、作家の中に存在するなにかもやもやしたものを“外へ-押し出す”という行為の全体において、テーマとは、まさにこの“作家の中にある名付けようのないなにか”のことを指し、フォームとは、そのなにかをよりよい形で外へ押し出す際に必要な型のことを指す。
テーマは、適切なフォームを得ることによって初めて作家の外へと出ることができ、外に出て初めて固有の名前を獲得する。作品とは、作家の肉体の一部が外部に露出した腫瘍のごときものなのだ。
コクトーの発言を筆者なりに解釈してみよう。

①コクトーにとっての映画とは、唯一無二の形式というよりむしろ数あるフォームのうちのひとつに過ぎず、あるテーマが外に出る際たまたまふさわしく思われる場合にのみ選び取られる、便利な道具である。ただし、詩や小説や戯曲やエッセイでは、テーマを暗に『語る』ことしかできないが、映画では同じテーマを直接的に『示す』ことができる。ここに映像メディアの特性が発見される。
②しかし考えてみれば、詩や小説や戯曲やエッセイ、つまり言語芸術とは異なる特性を持った映画を、わざわざそれらと『同じものを示すことができる媒体』として利用するというのは、ある種の倒錯ではないだろうか?
③おそらくは、まさにこのような倒錯のゆえに、コクトーは『自分は真の映画人(シネアスト)ではない』という発言を繰り返したのではないか?ここで念頭に置かれている『真の映画人(シネアスト)』とは、言語芸術とは異なる映像芸術にのみ備わった特性を生かし、『それだけに打ち込』む作家たちのことだろう。
④映画という同じひとつのフォームを使ってはいても、“シネマトグラフ”の作家であるコクトーが目指したのは、“シネマ”の作家である『真の映画人(シネアスト)』たちとは異なる道だった。それまでの彼が『あるときは本で、あるときは演劇で流行と戦って』きたのとまったく同じ仕方で、映画という『手さげランプ』を内なる洞窟の闇にかざし、『私につきまとう主題のさまざまな顔を照らしだすことでしかなかった』わけだ。
⑤以上からして、次の結論を得ることができる。創作者コクトーにとってなにより大切だったのは、フォームではなくテーマの方だった。重要なのは、『私につきまとう主題』をいかにして表現するか?という問題それ自体であって、いかなるフォームも、こうした悠揚迫らざる課題に取り組むための手段でしかなかったのだ。

さて、それでは、無数のフォームを時々に駆使し、手を替え品を替え、生涯を賭して表現し続けられるべき『同じもの』、コクトーの中心に変わらぬ座を占め続け、それでいて、ひっきりなしに外へと押し出される必要のあった“テーマ”とは、いったいなんだったのだろう?
本人が赤裸々に告白するところによれば、それは例えば『存在するものたちの孤独、目覚めて見る夢、恐るべき子供時代』といったものだという。
この発言が既にして一遍の詩であることからもわかるとおり、それはいわば、作品としての詩を産み出すための大いなる存在の詩、作家の生き方を決定付けてしまう根源的な詩情(ポエジー)だったと言っていいだろう。
あらゆる芸術分野において第一級の成果を残したコクトーが、まず真っ先に“詩人”と呼ばれる由縁はここにある。小説でも戯曲でも詩でも、映画においてさえ、彼はいつも同じひとつの詩を表現していた。ジャン・コクトーは存在としての詩人だったのだ。
身のうちに“なんだかわからないもやもやしたもの”としての詩を飼い続け、その虫が疼くたび、どんな手段を使ってでも外に出さずにはおれない、死に至る病の罹患者だったのである。


☆詩は死、ポエジーはトラウマ

存在の詩人にとって、詩は死であり、ポエジーはトラウマでもある。
コクトーが自らのうちに眠るポエジーの内実を明かす時、その言葉が、ごく自然な形でトラウマとしての記憶を招き入れている事実は、断じて見落とされるべきではない。
『主題とはたとえば、存在するものたちの孤独、目覚めて見る夢、恐るべき子供時代などだ“が”、

この子供時代から私はけっして逃げおおせはしないだろう』
この発言はほとんど、フロイトによるトラウマの定義の正確な説明になっている。
成長して大人になり、作家として成功を収めてなお、けっして逃げおおせることのできぬ子供時代。
これがトラウマでなくてなんであろう?
実はコクトーは、8歳の時に父親を拳銃自殺で亡くしている。このセンセーショナルな事件は、幼い彼に消しがたい印象を残し、生涯にわたって暗い影を落とし続けたという。
三島由紀夫が“軽金属の天使”と呼んだ身軽な詩人が、ギリシア悲劇における劇的な愛と死の対比に魅せられ続けたことは、こうした事情と無縁ではあるまい。
コクトーのポエジーは、神話的な劇性がリアリスティックなメロドロマの渦中に持ち込まれるとき、それらが互いにこすれ合う摩擦の中から、『目覚めて見る夢』が現実の肌を刺し貫く傷口の中から生まれ出てくるものなのだ。
彼の最初の映画作品のタイトルを借りて言えば、それはそのまま『詩人の血』である。
要するに、存在の詩人は、芸術のフォームを借りてーーいわばそれを自らの病の口実としてーートラウマをポエジーに変換する。『けっして逃げおおせることのできぬ子供時代』を作品化し、傷口から血を流しつつ書き変えていくわけだ。


☆ふしだらな獣

ところが、こうした不実さ、不純さのゆえに、存在の詩人は真の詩人になることができない。
『わたしは真の映画人(シネアスト)ではない』というコクトーの言葉は、存在の詩人としての矜恃のあらわれである以上に、真の詩人、純粋な詩人としての挫折の告白として読まれなければならない。
したがって、唯一の神、たったひとつのフォームに身を捧げることの叶わぬ存在の詩人の活動は、良く言えば多面的なものに、悪く言えば分裂的なものにならざるを得ない。コクトーの論敵であったアンドレ・ジードが、彼のことを『次から次へと変わる流行に便乗している』軽薄で移り気な輩として評したことは、ある意味で的を射ている。
とはいえ、“純粋な作家”、“真の作家”であるジードに欠けていたのは、分裂的な活動を通して、コクトーがなにと戦っていたのか?なぜ戦わなければいけなかったのか?という視点であったろう。
彼がどうしても理解できなかったのは、自分自身のテーマ=トラウマの探求に忠実なあまり、結果的にフォームの純粋性を軽視してしまう、存在の詩人の内的原理、病を作品化する過程に付き纏う苦悩そのものだったのだ。



☆傷口にしてナイフ

内にあるものを外に出すためには出口がいる。
そのため、作家が一番最初に創作する作品は傷口という開口部である。
表現。
ex-pression。
外に-押し出す。
内にあるものが傷をつたって外へと押し出される時、血が流れる。あらゆる表現は自傷行為だ。
トラウマ=“trauma”というドイツ語の医学用語は、一般に“精神的外傷”という日本語に訳され、流布している。 考えてみれば、これは奇妙にも矛盾した表現ではないだろうか?
“精神的”=自己の内部に存在する、“外傷”=外側に開く傷とは。
筆者からすればしかし、まさにこれこそが表現、あるいは創作という人間の営みの本来的な定義であるように思われる。
他ならぬこのわたしの存在が知りたくて肉体をナイフで傷つければ、傷口はきまって外に開く。これは作家と作品の関係そのものではないか?
まったく当然のことながら、すべての作家はリストカッターだ。
だがそれなら、筆者が強調してきた存在の詩人の特性はどのように位置付けられるのだろう?
例えばその特徴は、傷口とナイフとの意識的・無意識的な混同の中に見出される。
このことは後に、傷口を傷つける、トラウマをトラウマする、といったようなしつこい同語反復によって証明されることになるはずだが、とりあえずは松永天馬だ。


☆松永天馬

注意深い読者であれば、ここまでの記述が、コクトーを語ると同時に、松永天馬をも語っており、さらには彼の発言や言葉をなぞり書きしつつ、その思想に注釈を加えようとしていることに気付かれるかもしれない。
まさしく筆者の目的は、存在の詩人・松永天馬の本質に迫るべく、コクトーという『手さげランプ』を使って、暗闇から鏡写しに彼の姿を浮かび上がらせることであるにほかならない。
実際、二人の表現者には共通点が多い。多すぎる、と言ってもいいくらいだ。
コクトーと同じように、松永もまた多面的・分裂的な活動において知られている。
詩人、作家、小説家、音楽家、作詞家、映像作家、パフォーマー、Youtuber。アーバンギャルドという“バンド”のリーダー、さらには松永天馬というソロアーティストの”中の人”。
目眩を催すばかりの肩書きの乱舞!
コクトーにあって彼にないのは、ほとんど画家やイラストレーターとしての顔だけだろう。
だがそれにしても、なぜ松永はこれほどまでに多様な芸術領域を行き来しなければならないのだろう?なぜひとつのジャンルに腰を落ち着け、専心しないのか?アーバンギャルドの活動が軌道に乗って久しいにも関わらず。
結論から言えば、それはやはり、できないからだ、ということにならざるを得ない。
順分満帆に見える松永の活動は、実は挫折の連続だったという。詩作から始まり、小説家として立つことを志し、次いで演劇活動に手を染め、それでも芽が出ず音楽の道へ·····
この間の詳しい消息についてはファンの方々に譲りたいが、傍証のひとつとして、筆者はかつて本人の口から「もともと小説家になりたくて、大学時代はずっと小説書いていろんな賞に応募したんですけど、箸にも棒にもかからなくて·····」という発言を耳にした記憶がある。
きっと、他にも数え切れないほど多くの挫折と失敗を経験してきたはずだ。そんな過程の中で、いつからか、若き日の彼にこんな思いが芽生えてきたとしても不思議はない。
「自分は純粋な作家、真の作家にはなれない」と。
ちょうどコクトーが「わたしは真の映画人(シネアスト)ではありません」と言明し続けたように。
しかしある意味では、一人の詩人は、こうした挫折の経験を通じて初めて、存在の詩人へと生まれ変わるのだ。
唯一の神、ただひとつのフォームに身を捧げられない自己のふしだらを鋭く認識する時、彼は改めて“テーマ”の方へと目を向けるだろう。ひょっとすると、“真の作家”のそれよりも、深く、強く、まっすぐに反省的な視線でもって。
松永が大学進学において文学でも哲学でもなくキリスト教神学の道を選択し、コクトーが晩年に至って唐突にカトリックに改宗したことを、唯一の神に嫌われた自己への和解と復讐の身振りと見るのは穿ちすぎだろうか?



☆実作=存在の詩を“書く”

コクトーと同じく、多岐にわたる経歴を誇ってはいても、まず第一に松永天馬は詩人である。
実際、あまりに移り気で軽薄なようにも思われるその活動ぶり、創作者としての内的原理を説明するためには、彼が存在の詩人であり、詩でも小説でも映画でも音楽でも、いつも同じひとつの詩を“書いている”と考えるのがもっともわかりやすい。
彼にとって重要なのは、フォームではなくテーマであり、フォームの選択は、自己のうちに眠るトラウマを外に押し出すために必要な、二義的な過程に過ぎないわけだ。
存在の詩人は、芸術のフォームを借りてーーいわばそれを自らの病の口実としてーートラウマをポエジーに変換する。
かつてのアーバンギャルドが“トラウマ・テクノポップ”を標榜していたことからもわかる通り、“病”と“トラウマ”は松永の一貫したテーマだ。
フロイトは、トラウマの特徴を“反復”の性質に求めた。ラカンによれば、それは“何度でも同じ場所に同じ形で回帰するもの”だという。つまりトラウマは、それ自体ではネガティブなものでもポジティブなものでもない。それがわれわれの心を傷つけるのは、繰り返し現れるという性質の執拗さ、しつこさによるのだ。
したがって、存在の詩人のテーマ=トラウマを同定するためには、精神分析医が行うように、患者が反復する言葉、それもできれば一字一句違わぬ言い方で繰り返される言葉に耳を澄ましてみればいい。
「自分は真の映画人にはなれない」という挫折の認識がコクトーのトラウマになっていたと言い得る理由は、まさにこの発言が『口ぐせのように』『くり返』されていたという事実にある。口ぐせというからには、それはほとんど決まり文句のように、あたかも他人の言葉を引用するような仕方で反復されていたに違いない。
トラウマはけっして変質することがない。いつも同じ大きさ、同じ形、同じ質量を備えて、しつこくその場に居座り続ける。
存在の詩人が、トラウマをポエジーに変換してなお、死ぬまで変換し“続け”なければならないのは、こうした理由による。外へ、外へと、追い出すたび、この厄介者は変わらぬ笑顔を浮かべて帰ってくるのだ。


☆批評=しつこいトラウマをしつこくトラウマする

多様なフォームを用いて同じテーマを同じ仕方で反復し続ける存在の詩人のあり方は、それ自体トラウマ的である。
だがそれならば、松永天馬が“トラウマ”をテーマとして、“トラウマ”をトラウマとして掲げるというのは自己矛盾であり、韜晦的な自己批評の身振りだということにはならないだろうか?
実を言えば、松永天馬という表現者を特異ならしめているのは、実作者としてよりむしろ、こうした内向きの批評家としての要素なのだ。実作者としての側面をいくら観察したところで、複雑な彼の内面を捉えることはできず、かえって混乱を深めるばかりだろう。
筆者の見るところ、彼がTwitterやブログなどオフの場においてーーつまりは無意識の真相がもっとも露出しやすい領域においてーー繰り返しているのは、「しつこさ」というキーワードである。
正確な引用ができず申し訳ないが(ファンの方々、助力をお願いします!)、「創作者にとってもっとも大切なのはしつこさです」、「僕はしつこいですよ〜」、「しつこくやっていきましょう、しつこく」などの発言がしつこく行われ、「しつこくやっていきましょうと口癖のようにしつこく言い続けている僕ですが」といった内容の同語反復めいた言及もあったことと記憶する。
注目すべきは、オンでもオフでも言語表現において華麗なレトリックを駆使する松永が、ここではいっさいの比喩や言い換えを行っていないという点だ。
「しつこさ」「しつこく」といった言葉は、『口癖のように』、あたかも自分の言葉を自分で引用するように、ほとんど一字一句違わぬ形で反復されているのだ。
要するに「しつこさ」は松永のテーマであり、トラウマのひとつであるわけだが、トラウマの特徴が、何度でも同じ場所に回帰する性質の「しつこさ」それ自体にある以上、事態はたいへんややこしいものにならざるを得ない。
松永天馬は、トラウマをトラウマとして掲げ、しつこさをしつこく繰り返すことによって、しつこいトラウマをしつこくトラウマし続け·····
まったく頭がおかしくなりそうな話だ(笑)
だがおそらくは、この絶えざる同語反復の中に、螺旋を描きながら内へ、内へと、エッシャーの無限回廊のように鋭く同じ場に向かっていく刃のあり方にこそ、松永の隠れた本質がある。
ナイフは傷口を作り、傷口はナイフを欲し、またそのナイフが傷口を·····
『自己批判しろ  自己批判しろ 自己批判しろ』
『しろ しろ しろ』
ナイフと傷口を混同する者にあっては、自己批判さえもが同語反復の形を取って現れる。刃は、内へ、内へと向かっていくが、しかしその実、もはや内と外との境目は消失している。傷口は内にも外にも花開くだろう。
したがって例えば、つい先日話題に上った“サブカル出身”の表現者・松永天馬による“自己言及”=『わたしはサブカルが嫌いである』という文章の苛烈さは、同語反復の批評家としての彼の側面を理解していれば、意外でもなんでもない。彼にとってのナイフは、傷口と同じものなのだから。


☆批評×実作=分裂のスタイリスト

もちろん、批評と実作は互いに響き合っている。優れた批評は優れた実作の可能性を準備するし、優れた実作は必然的に優れた批評を含み持つものだ。
表現者・松永天馬のややこしさとおもしろさは、ひとえに、実作を担当する“存在の詩人”・松永天馬と、批評を担当する“同語反復の批評家”松永天馬が互いに影響を及ぼし合っている点にある。
批評家は詩人に、同語反復のトラウマを技術化して飼い慣らす方法を教える。同語反復。同じ言葉を同じ音で繰り返す。音を少しづつズラす、あるいは音の響きはそのままに言葉のスタイルを横滑りさせれば、彼が実作においてもっとも得意とするあの“言葉遊び”の快楽が出現する。オンでもオフでも、松永があれほど執拗に、“しつこく”言葉遊びに興じるのは、反復とそこから生まれる差異化自体が表現上のトラウマ=テーマとなっているからだ。
代わって、詩人は批評家に、自己の存在さえをも対象化し、一遍の詩として切り離し、批評的に観察するための冷徹なまなざしを提供する。つまり松永は、一度目には傷口とナイフを無意識に混同してトラウマ化し、二度目には、それを戦略的に混ぜ合わせることによって、独自のフォームへと変換する。
そしてさらに、両者を離れた場所から監視し、互いの役割を調整しつつバランスを取るのが、“分裂のスタイリスト”としての側面だ。
この第三の人格の役割は、わかりやすく言えば、監督やプロデューサー、編集者のそれに近い。
筆者はかねがね松永天馬という人はアーバンギャルドのリーダーやボーカルというよりむしろ、プロデューサーなり編集者と呼ぶ方がしっくりくるのではないかと考えているのだが、問題は、その立場が常に分裂的である点だろう。
そもそも松永の創作活動は、詩作からスタートしている。そして、“真の詩人”となる道を断念することによって、“存在の詩人”となって目覚めた。言葉を換えれば、これは、偽物=フェイクとしての自己のあり方に改めて向き合い、真の○○を模倣する演技者として生きる決意を固めたということでもあろう。さまざまなフォームを脱ぎ着することは、演技者が役柄と衣装を次々と取り替える仕方に似ている。
この挫折した詩人のキャリアの前半生が、芝居や演劇に対する情熱へ当てられ、特に初期アーバンギャルドのライブにおいて、シアトリカルなパフォーマンスを大胆に取り入れていた事実はもっと重要視されていい。
しかし、本来的に存在の詩人であった彼は、他のすべての役と同じようにやはり、劇作家の役に徹することもできなかった。代わりに選ばれたのは、強迫的なまでの身軽さとスピードによって多様なジャンルの衣を脱ぎ着し、同時に、アーバンギャルドというホームの内部においても、ボーカルと作家、プレイヤーと非プレイヤーといった具合に、自己を絶えず分裂させ続ける道だったのだ。
分裂は、真の○○に対する畏敬の念の表明であるとともに、フェイクの詩人であり、それだからこそ“真の演技者”である自身の矜恃のあらわれでもある。
分裂はいわば生き方のスタイルであり、この自己破壊的なスタイリストは、それぞれのテーマに見合った表現フォームをコーディネートするほか、人間・松永天馬の肉体に、存在の詩人としての、同語反復の批評家としての衣装を纏わせるのだ。


☆松永天馬に松永天馬を着せる松永天馬(という同語反復)

だからこそ、ソロアーティスト・松永天馬の誕生は記念碑的な意味を持つ。
人間・松永天馬の肉体に、松永天馬を着せることを、その無防備なまでの直接性を、分裂のスタイリスト・松永天馬がようやく許可し得た、という点において。
だが、さらに注意深く眺めるなら、スタイリストの束縛はむしろ強まっており、監督から役者へ厳しい指示が飛んでいることに気付くはずだ。
以下の映像は、松永がソロアーティスト・松永天馬としてとある番組に登場した場面だが、ここでは明らかに、いつになく過剰な身体性、わかりやすく演劇的な言動が採用されている。まぎらわしくも本名を、人間・松永天馬と同一の記号を使用しているぶん、「ここで喋っているのは人間・松永天馬ではありません。ソロアーティスト・松永天馬です。正確には、人間・松永天馬がソロアーティスト・松永天馬の役を“演じている”のです。誤解なきよう!」という旨が強調されているわけだ。
またしても同語反復的な惑乱に満ちた事態である(笑)
しかしやはり、スタイリストが生身の(ように見える)肉体を身に纏うファッションを詩人に許可したことの意味合いは大きく、このインタビューでは無意識の真実が多数露出している。ここにはコクトーの発言と同様、すべての本質が表れており、表現者・松永天馬の立場が明確化されているのだ。
耳を澄ませてみよう。



☆鏡と星

例えば、松永が表現に対する姿勢を聞かれ、『われわれはみんな鏡屋さんなのです』と発言するとき、筆者はひそかにコクトーのことを思い出さずにはいられない。
鏡は、コクトーのシネマトグラフにおけるトラウマ、最重要のテーマのひとつだった。対象の左右を反転させ、その固有の存在性を分裂させるのみならず、目の前に立つ者をガラスのフィクションの中に作品化するこのオートマティックな作家=鏡は、おそらくコクトーのすべての映画に登場する。
わけても、『詩人の血』において、主人公である名もなき詩人が人間大の巨大な姿見の前に佇むや、ガラスの鏡面がなめらかな水面へと変質しはじめ、真っ黒い波飛沫を打ち立てながら詩人がその中にダイブするシーンは、つとに有名だ。また、鏡の詩情は“飛び込む”“通り抜ける”という動作を通じて、向こう側にある死の世界と繋がっており、『オルフェ』の主人公オルフェは、美しくも恐ろしい死の女神に手を引かれつつ、鏡の中へと足を踏み入れ、おっかなびっくり死者たちの国を進んでいく。
そこは冷たい風が吹き荒れる、真っ暗で寂しい空間だ。
文字通りの“鏡屋さん”は、この場面に登場する。「鏡はいらんかねー、鏡ー」と口上を垂れながら、細長い鏡を裸のまま小脇に抱きかかえ、オルフェの脇を通り過ぎていくのだ。
コクトーのポエジーが炸裂した、映画史に残る名シーンである。
存在の詩人にとって、詩は死であり、ポエジーはトラウマでもある、という真理をこれほど端的に表した例も他にあるまい。
同じ種類のポエジーと濃厚な死の香りを、筆者は松永天馬の最良の作品(『エクリチュールアヴァンチュールシュール』、『子どもの恋愛』、『ショートケーカーズ』など)にも感じるものだが、若き日にゴダールやヌーヴェル・ヴァーグの作家に夢中になり、フランス文学やフランス映画に傾倒していた彼が、『目覚めてみる夢』を表現したコクトーの甘美な映画群を見ていなかったとは考えにくい。
鏡と並ぶコクトーのもうひとつのトラウマは、星である。
鏡が闇を、死を司るとすれば、星は光を、詩と詩人の栄光を司っている。
一筆書きの見事な線で描かれた星の形象は、コクトーのさまざまな絵画の中に姿を見せているし、『詩人の血』においてもピカピカと点滅する奇怪な星のオブジェとなって登場する。
松永が私淑するゴダールと言えば、80年代の低迷するフランス映画界に彗星の如く現れ、“ゴダールの再来”、“恐るべき子ども”(コクトーの一番有名な小説のタイトルだ)と呼ばれたレオス・カラックスは、若干19歳で撮り上げた伝説的な処女長編『ボーイ・ミーツ・ガール』を、わざわざ『詩人の血』と同じモノクロの画面によって構成し、冒頭でやはり『詩人の血』のそれとよく似た星のオブジェを登場させることで、脈々と受け継がれる“フランス映画の血”にオマージュを捧げている。
彼の作品に感じるのもまた、ゴダールというよりはコクトー流の、劇的な愛死の精神なのだが、ともかく。
星は、松永のもっともフランス的な、あまりにフランス的な詩の中にも輝いている。
『エクリチュールアヴァンチュールシュール』。
『メモワールでも イストワールでも
逃がさないさ 行方知れぬまま
エトワールでも レスポワールでも
捕まらない 名前分からずに』
タイトルがフランス語なら、キーワードもすべてフランス語。このうち、エトワールとは、実はフランス語で星を意味する言葉なのだ。


☆松永天馬の三つの人格、再びジャン・コクトー

結論を言おう。
表現者・松永天馬の個性は、三つの人格の無意識的・意識的な混同、不可避的・戦略的な共謀関係の中に発見される。
①存在の詩人
·····挫折した詩人の人格。あらゆるフォームを使って同じひとつのテーマ=トラウマを表現する。
②同語反復の批評家
·····内と外を同時に傷つける批評家の人格。トラウマをしつこく反復し、あるいはズラすことで、言葉の領域において、トラウマをフォームへと変換する。
③分裂のスタイリスト
·····両者を統合し、また分裂させる、真の演技者の人格。人間・松永天馬にさまざまな役と衣装を着せ、指示を飛ばし、生きた映画を監督する。

このうち、特に批評家としての側面は、批評というよりむしろウィットに富んだ警句(アフォリズム)の人であったコクトーには見られない、松永独自の個性だろう。
さて、それでは、無数のフォームを時々に駆使し、手を替え品を替え、生涯を賭して表現し続けられるべき『同じもの』、松永天馬の中心に変わらぬ座を占め続け、それでいて、ひっきりなしに外へと押し出される必要のある“テーマ”とは、いったいなんなのだろう?
筆者はそれを、コクトーのトラウマと同様、『存在するものたちの孤独、目覚めて見る夢、恐るべき子供時代』といったようなものではないかと推測するのだが、軽はずみな判断は慎むべきだろう。 
代わって、ささやかな問いかけを発することで末尾に替えたい。
「いったい、“少女”、“サブカル”、“鬱”、といったキーワードは、松永天馬のテーマ=トラウマなのか、それとも数あるフォームのうちのひとつに過ぎないのか?」
ここから先は、ファンの方々の判断にお任せしよう。筆者は常日頃から、『わたしは真のファン(アーバンギャル)ではない』と口ぐせのように繰り返している身なのだから。
要するに松永天馬は、筆者にとってのナイフにして傷口、同語反復しながら血を流しつづける言葉、何度でも同じ場所に回帰するトラウマなのだろう。
われわれは永遠に『この子供時代から逃げおおせはしない』のである。










★最後まで読んでくれてありがとう!(∩´∀`∩)♡
お礼にいいものを。
だれかがコクトーのシネマトグラフ『詩人の血』の映像をコラージュし、Massive Attackの音楽をくっつけただけの作品なのだが、これがめちゃくちゃいい·····
鏡と星もバッチリ出てくるので、ぜひ。


野生動物の保護にご協力をお願いします!当方、のらです。