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偶然を受け止めるための余白

こんにちは!わがことの岩澤もとこです。
サツマイモごはんがおいしい季節になりましたね。

突然ですが、みなさんはラジオを聞く習慣はありますか?
最近わがことではラジオがプチブーム(?)になっています。
かくいう私も数年前からラジオリスナーで、毎月課金している唯一のアプリがradiko。
ラジオ番組はざっくり分けると、おしゃべり系と音楽系になるかと思いますが、普段はもっぱら音楽系を聞いています。

私がラジオを好きな理由は、「偶然」に出会った経験があるからです。

その当時、私は主催していたイベントが終わったばかりで、気持ち的にもスケジュール的にもぽっかり穴が空いてしまった状態でした。
イベントの余韻もあって、いつも以上にぼんやりしていたそんなとき、たまたま車のラジオから流れてきた歌に、耳が持っていかれました。

「なにこれ、めっちゃいいやん、好きかも」

すぐにそのアーティストを検索し、他の楽曲も聞き漁り、さらにはまって、そこから先はもう沼です(笑)
今ではライブにも足を運ぶようになり、通勤中に、散歩するときに、寝る前に、日々の生活の中でいつも傍らにある大好きなプレイリストのひとつになっています。

同じように、ラジオから偶然流れてきたことがきっかけで、大切な存在になっている音楽は多いです。
ラジオの良さは、気に入った音楽だけを繰り返し聞いていたのでは、絶対にたどり着けないような楽曲に出会えるところだと思っています。
お気に入りのものが増えることは単純にうれしいし、私ってこういう音楽も好きだったんやなぁという発見もあります。


たまに、もしあの日私がぼんやりしてなかったらどうなってたんだろう?と考えます。
もし仕事のことで頭がいっぱいだったら?疲れ切って何も考えたくない状態だったら?
ラジオから流れてきた出会いに気づかずに、せっかくの「偶然」を受け流してしまっていたかもしれない。
そう考えると、あのときの自分に「偶然」が入り込む余白があって本当によかったなぁと思うのです。

「偶然やまさかの事態に備えて、心に余裕を持つことが大切」とはよく言われるし、誰もが納得するところですよね。

これって、人に限った話ではないと思いませんか?

組織やまち、その他あらゆるコミュニティを主語にして語るときも、偶然を受け入れる余白・余裕を持っていることは大切なはずです。


とかく組織というものは、固定観念に囚われがちです。
もちろんそれまでの実績と歴史があるからこそ起こることなのですが、「もう何年も人の入れ替わりがないわぁ」とか、「いつも今までと同じやり方を繰り返しとるだけやなぁ」とか、どんな組織でも少なからず感じることがあるのではないでしょうか?
そして「うちには変化が必要なんや!」、「今こそ新たな風を!」なんて求めていたりするものです。
でも、もしかしたら問題の根っこは、変化や風がやって来ないことではなくて、組織のほうが変化を受け入れるための余白を設定できていないところにあるのかもしれません。


組織と人との関係性を語るときに「関わりしろ」という言葉を使うことがあります。「地域と住民の関わりしろを増やそう」というような使われ方をすることが多いようですが、地域にまつわる話題に限らず、最近広く聞かれるようになった言葉だなという印象です。
「関わりしろ」の「しろ」は、「伸びしろ」の「しろ」と同じく、まさに余白を指す言葉ですよね。

がっちり固めた完成形ではなくて、ちょっとした隙があるまち。
「新しいことができそう」「こんなやり方もおもしろそう」という声をすっと受け入れることができる、余裕のあるまち。
そんな余白に、新しい地域の担い手が入ってくるのかもしれません。

そしてわがことも、偶然や新しい出会いを受け止めて、味方につけることができる組織でいたい。
頭を空っぽにしてラジオを聞くように、余白を持ったオープンで軽やかな組織でありたいなと思っています。

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