“かわらず”――超自己満足型
こんにちは、づーちーです。
4月からあっという間の半年、ぽっかりな半年。きっとこういう期間は、あとで振り返ると「記憶がない」となることが往々にしてある、すえざわです。
なのでこんな時に、こうやって書き留めておくことができるのはありがたい機会で、昔の上司に「書く練習をしなさい」と言われたことを毎回思いだすのです。
さて、前回の投稿から3か月。わたしの環境は、相も変わらず。
“かわらず”なので、少し世間から置いていかれた感が否めません。
この“かわらず”について少し思いをめぐらせたことを書いてみます。
変わらず
ラ行五段活用の動詞「変わる」の未然形である「変わら」に、打消しの助動詞「ぬ」の連用形「ず」がついた形。
変わる
形・性質・様子などがそれまでと異なったものとなる。変化する。
わたしの近況は、何が“かわらず”なのか。。。
なんだか前に進んでいないように思うことを“かわらず”と言っている気がします。これといって変わったことはない、なんにもないんだー!とでも言いたいかのように。
じゃー、どう前に進みたかったのか。
何がどうあってほしかったのか。
結果、何がしたいんだったっけ!?という問いになってくるわけです。
こんなことを考えている時は、頭の中のいろいろをと吐き出したい欲が右肩上がりです。このような時期を、もやもや期と勝手に呼んでいます。
わがことメンバーには周知の事実かと思いますが、わたしは何かしたいという強い思いがあるわけではなく、誰かと一緒に何かをして「おもしろいやん」、「いいやん」みたいなのが好きなのです。
そんなわたしだから、何がしたいんだったっけ?と考え始めるともやもやしてしまいます。
“かわった”
逆に、“かわった”ことを考えてみると、この半年間、ゼロと思っていたことが5になったり、仕事が変化したり。半年前よりも3か月前、3か月前よりも今で、周りのメンバーのサポートや努力も確実に感じているし、感謝しています。
つまり、“かわった”こともある。
結局、わたしの“かわらず”は、あいまいです。
現状に不満があることはまちがいないのですが、それはだれしも、と思ってしまいますよね。
そう、だれしもなのです。
ただ、わたしの“かわる”が不明瞭すぎるので、大きな変化を勝手に期待して、ギャップを感じておるのです。
じゃー、“かわらず”は、後ろ向きなのか。
いやいや、前回の投稿で変わらないことも大事なんて話をしていたりするので、“かわらず”も大事ということはちゃんとわかっています。
毎日誰かと会話して、ご飯も美味しく食べて、誰かをちょっと笑かして喜んで、誰かをちょっとイラッとさせて、誰かの何かには関わっているかもしれないとおもう。
そんな「今日も疲れたー!」という1日は、日々是好日なのです。
なので、“かわる”は捉え方次第。
小さな変化を大事に、ちゃんと“かわった”と感じる姿勢を大事にするのだと思うと、
すっとふに落ちて来ました。
でも、本当はもっとほしいのです。時間が、、みんなとのコミュニケーションが!
お付き合いいただき、ありがとうございました。
ちゃんちゃん――超自己満足型
さて、それでは、最近のわたしのご機嫌音楽を最後に。
『愛し愛されて生きるのさ』 オザケンこと小沢健二
なんか元気が出るので、聴いてみてください。ではまた。
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