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生誕


社会人になって一年がたった。

あの記事をかいて一年がたった。

たくさん考えたようでこんなに考えない一年は始めてだった。

周りは高圧的で、自分の意見なんか曲げる気なくて
人の話を聞くのが嫌いで、自分の事が大好きな人ばかりだった。思うよりも優しくない人の方が多かった。

学問は私に優しかった。
自分にたくさん問うた。考える時間をくれた。
そもそも人間とは。生きるとは。存在とは。我々とは。
日本とは。差別とは。
たくさんの人やたくさんのテーマから
自分のテーマになって、学ぶこと全てから自分に問いかけることができた。
乃木希典が、天皇崩御とともに自殺したこと
藤村操が、「曰く不可解」と残して滝に飛び込んだこと
武者小路実篤の「お目出たき人」
横光利一の「蠅」
目取真俊の「水滴」
どれもわたしの宝物だ。

そして、私の話を聞く人がいた。
一人の人間として、あくまで人間として扱ってくれる人がいた。
レポートで書くことにあまり嘘を書いたことはない。
過激なことも書いたかもしれない。この意見には賛成できないとも書いたこともある。
それでもしっかり教授たちは評価として返してきた。
一人の意見として受け入れてもらえている気がした。
だから私はレポートが好きだった。

学問は優しい。易しいじゃなくて優しかった。
だから、研究者もみんな優しかった。

世の中の人は、思ったより優しくない。
好きな人にも優しくない。
自分を殺す覚悟や意識なんてほとんどの人が持ってない。

それから、自己肯定感がある。
みんな等しく成長できると思っている。
みんな自分にはやれば出来ると思っている。
仕事が出来ることが成長なら、そんな方向に成長しなくていい。
私と一緒に学んだ仲間で、どうも現状が合わない人がいたら、無理に溶け込もうとしなくていい。
私も装っているだけ。自信があって成長願望があるように装っているだけ。
本当は早くやめたいし、別に社会の役になんか立たなくていいし、早くこんな世の中おさらばしたい。
人間が仕事をしている以上、抜け漏れあって当然。それでいいよ。気づく人はどこかにいる。
話を聞けなくていいよ。つまんない話をするやつが悪いよ。
仕事に意味なんか見つけなくていいよ。誰でも巻き取れる仕事に意味なんかそもそもないよ。
周りはとっくに気づいていて、実は自分に言い聞かせてるのかもしれないけれど。

毎日通勤と退勤の電車で泣いていた。
会社に着くまでに泣き止むことに集中して
床の模様やエスカレーターの溝ばかり数えて
柄にもなくタバコなんか吸い始めた。

わたしには、
「だから何?」「なぜならば」
じゃなくて
「つまり」「~だからだ」
の方が向いてたって話だ。
そしてそれを聞いて一旦受け入れて、それを否定しないで、追加という形で私に道を示してくれる人たちがいた。世の中にそんなに芯の通った人間はいない。
「わからない」が答えでもいい。
なんでも理由がつけばいいわけでもない。
理由なんかないことの方が多い。
理由っぽく飾った言葉に踊らされて馬鹿みたいだなって私はずっと思ってる。
心から出た言葉に耳を貸さない世の中なんて大嫌いだ。
学生の本音を聞いても、微妙な反応をする企業ばっかで何が楽しくて働くのか。
社長も会社も私も、みんな燃えちゃえばいいのに。

こんな私を世の中はきっと子供だと、嗤うのでしょう。

この一年で
生と死の器、二つの中身がたまるスピードが違った。
死の方が早かった。
一人でいるとろくに寝れなかった。
朝、四肢はしびれ、震え、脳は鈍り、なにもしたくなく
無理やり動いて遅刻ギリギリの電車で泣いて通勤して
休職スレスレをずっと生きている。

ベルトで首絞めたこともあった。
あわよくば死なないかなと思った。

寒空の下凍死を狙ったこともあった。

飛び込みも試みた。
死ぬ怖さよりも先に、いい年して「怒られる」と思った。
死んだら怒られるかなぁ。

幸せで死ぬと公言していたのに、
あの私は社会に殺された。
今は死にたくて死ぬ。当時それもまた美学と思っていた。
だから、一年前の私へ。
私は30で死にたくて死ぬね。

わたしは今日25になった

春は花びらの変わりに死が舞う季節。
神様、
死が舞う季節に生まれた私は
死が舞う季節に命をお返しします。


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