あるはずのない"正解"からの卒業
自分のことばは、ひと度発すれば、その受け取り様は他人(ひと)に委ねられる。
そう割り切れるのに。
本を読んだり、他社の何かについて自分が受け取った感情をことばにするとき、どうしてもあるはずのない"正解"を求めている。
「わかってるね」
どこかでそう思われたい、意識下の感情の表れなのかもしれない。
それでも、これからはなるべく正直に。
(思い切りが悪い…)
自分の心が動いたこと、事象について、ことばにしていきたい。
発端は、「職場の目標に書いたから」だとしても。
ログ。記録していくことは、忘れやすい私にとって、必要なことだと仮定して。
日々触れる情報の多さに辟易しながらも。
少なくとも、それが他人(ひと)を傷つけないことを願って。
<阿部広太郎さんの『心をつかむ 超言葉術』を読んでいる途中で、無性に書きたくなって欲に任せて綴った4月26日、日曜の午後。殴り書きしたものを、noteに記します>
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