変わり続ける心
仏教修行の目的は、連続しつづける心を穏やかにして、無常を理解し、非暴力を実践すること。byダライラマ法王。
心というものは、「これ!」と指でさすことはできない。でも、常識として、心というものが存在することはだれでもわかる。心は、ただ1つのものがあるようで、実は、確実にこれ、ということはできない架空のものである。移り変わっている、でも長い目でみると、確かにある。
実在しないが、あるのはわかる。すべて、これである。これを理解することが、無常の理解である。
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