ノグソフィアな時期
ノグソフィア。。
響きから何となくオシャレな気配すら漂うけれど、漢字に変換すると野糞である(笑)
noteはじめて早々、何書いちゃってんだ、私!?
私は関西に住んでいるので
東北の震災の時、「そっちは揺れた?」と家にいなかったダンナから電話をもらうまで、地震があった事にも気づかなかったくらいだった。
しかし全く被害に合わずとも
誰もが落ち込み、生き方そのものを問われるものだった事は間違いない。
私が住む山村地域にも、震災以降は、若い移住者が各段に増えた。
原発事故の衝撃もあり、私もエネルギーについて、考える日々だった。
今となっては、ストイックに薪を使う生活に切り替えすぎてしまい、
(ストーブ、床暖房、給湯、お風呂、全部が薪!)
冬になると蒸気機関車を動かしてるかのごとく火を焚き続けるのに忙しくて、最近になって少し生活を薪以外のエネルギーに戻した。
さらに現代の生活そのものにも、沢山の疑問が湧いた。
そのひとつに、トイレがあった。
当時の住まいが水洗トイレだった事もあり(現在は簡易水洗)、
こんな山間の小さな集落で、各家の排泄物を、パイプを張り巡らせ、どこか一ヶ所に集めているなんて、なんかおかしくないかな?と滑稽に思えてきた。
これって間違ってないんだろうか??
みんなが山で穴を掘って用を済ませばすむんじゃないだろうか?と考えるようになってきた。
考えれば考える程疑問になり、トイレを使いたくないという願望が、日に日に肥大してきた。
そんなある日、我慢できずに友人に打ち明けてみたら、思わぬ情報を入手した!
同じように疑問に持つ人達が「ノグソフィア」という野糞する団体として活動しているらしい!
ノ、ノグソフィア!
な、なんてステキなネーミング!
「私、トイレじゃなくて、山でウ○コしてるんだよね~」「ノ○ソしてるんだよね~」なんて言おうもんなら、世間はビックリ!こいつ大丈夫か!?と思われそうだし、まず第一に、自分自身でも抵抗がある。
しかし、「私ノグソフィアなんだ!」と言う響きは爽やかで
自分でもなんかだか楽しくなってしまう。
なんだこの違いは!言葉の力を感じずにはいられない!
今まで名前のなかった行為や物に、新しく名前がつくと、文化になるんだよね。かつてそれを身を持って体感した事があった。
私は小さい時から、くせ毛だった。
当時は、くせ毛は「天然パーマ」略して「天パ」と呼ばれており、天パはかなりのコンプレックスで、ストレートヘアに憧れを抱き続けていた。
天然パーマ。。今振り返ってみても、なんともひどいネーミングセンスである。
それが、90年になり
パーマと言えば、バチバチのソバージュ!の時代が終わりを告げた!
そして、「くせ毛風パーマ」「ニュアンスヘア」なるものが流行りはじめた!!
天然パーマからくせ毛へ!
みんなの天パ いや、くせ毛を見る目が明らかに変わってきた!
「くせ毛いいね!」などと言われるようにもなる始末。
何言ってんだよ!真っ直ぐストレートのがいいにきまってんだろ!と内心思いつづけたてきたが、
最近になり、とうとう自分のくせ毛が好きになりはじめた。
すごい!言葉のイメージで、価値観までも作り替えてしまうなんて!
「くせ毛風パーマ」を流行らせてくれた
美容業界の方々が、本当に神に思える。。
「天パ」が「くせ毛」へと変化し、言葉が生まれ、その言葉が新しい風をおこし、世の中の感覚を塗り替える様を身を持って体感する出来事であった。
話は逸れたが、このノグソフィアという言葉にも、同じ新しい風を感じずにはいられない!
「山でウ○コ」ではなく、「ノグソフィア」!
ノグソフィアにはルールがあり、
穴を掘って、そこに用を足すんだけど、上から土を5センチだったかな?それ以上被せるというルールがあった。そうすれば2ヶ月もあれば土に還るらしい。なんとも美しい!これです!私が求めていた感覚は!
ちなみに、ノグソフィア代表の方は、講演依頼で東京に呼ばれて行くと、ノグソフィアする場所探しが大変なようだ。
東京でもノグソフィア!?
さすが、提唱者の徹底ぶりはすごい!笑
そんな訳で、ノグソフィアと言う言葉に勇気をもらい、ついに私もノグソフィアデビューしてみる事にした!
朝の犬の散歩で山に入るので、その時に事をすませようと、穴を掘るスコップと、洗浄用の水も一緒に持っていく。
ウチのダンナさんは、自分の配偶者が突然ノグソフィアになった事をどう思うんだろうか!?と考えると、
申し訳なくもあり、滑稽でもあり笑えてきた。
何度か経験をつんでから、思い切って打ち明けてみると、
え!?そうなん!?と、少し笑ってはいたが、思ったより軽い反応だった。
何ともワダマキに慣れたダンナである。。
それから、ノグソフィアはどれくらい続けたんだろうか。。飽き性の私にしては楽しんで2~3ヶ月は続けたように思う。
ノグソフィアを卒業する原因にもなった、困った事がひとつだけあった。
それは犬がウンコが大好きだって事!(笑)だから終わってからも土を急いでかけなきゃいけないし、だんだん慣れてきたら埋めても穴を掘ろうとするようになってきて、すぐにその場を立ち去らなければいけないし大変だった。犬から自分の排泄物を守るという行為は、犬の紐をせずに散歩している身には、なかなか骨の折れるもので、朝からくたびれ、私一体何やってんだろうか?と思うには充分なものだった。
良かった点は、なんと言っても丸ごと大地に受け入れられる感覚を経験できたことだ。
土って人間が不浄とするものも、不浄とせずに受け入れ、(分解して)なかった事にしてくれるんだよね。。これを身を持って体感した事は、間違いなく私の土に対する感覚や自然観を塗り替えた。作るものにもそれは少なからず現れているのかもしれない。。
なんで急にこんな話を書いてしまってるのか、自分でも全く謎なんだけど、書いてみようと思っちゃったから仕方ない。
もっとオシャレな感じでいくつもりだったのになぁ。。一体私は何をカミングアウトしてしまってるんだろうか?笑
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