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国際ルールを"誤訳"していた残念な通達【大川原化工機国賠訴訟4】

大川原化工機及び同社社長他幹部が外為法違反(不正輸出)として起訴された事件で、2021年7月30日、第一回公判期日を目前に控え、検察官は異例の起訴取り消しを行った。これを受け、東京地裁は8月2日に公訴棄却を決定。事件は突然に終了した。2021年9月8日、大川原化工機らは、警視庁公安部による大川原氏らの逮捕、及び検察官による起訴等が違法であるとして、東京都及び国に対し、総額約5億6500万円の損賠賠償請求訴訟を提起した。

大川原化工機は、規制スペックのうち「ハ」(定置した状態で内部の滅菌又は殺菌をすることができるもの)を非該当として輸出しましたが、警視庁は輸出された噴霧乾燥器は当該要件にも該当するとして立件をしました。噴霧乾燥器の客観的性能に関して見方が分かれた根本原因は、当該要件の文言、具体的には「殺菌をすることができる」の意味が曖昧な点にありました。
しかし、実は、国際ルールでは「殺菌」(原文ではdisinfected)の定義が置かれていたのです。以下は、国賠訴訟の訴状から一部を抜粋・加工したものです。

国際ルールにおける滅殺菌の定義

 オーストラリアグループ(AG)において国際的に合意された事項を列記した共通規制リスト(Australia Group Common Control Lists)では,噴霧乾燥器より先に規制対象とされていたクロスフローろ過装置の規制要件の1つとして,噴霧乾燥器と同一の文言(capable of being sterilized or disinfected in-situ)を用いた滅殺菌要件が定められている。これは,平成14年に開催されたAG会議で合意されたものである。

 そして,AGではその際,当該要件における sterilized 及び disinfected の意義について,次の定義規定が併せて合意された。

Technical note:
In this control, 'sterilized' denotes the elimination of all viable microbes from the equipment through the use of either physical (eg steam) or chemical agents.
'Disinfected' denotes the destruction of potential microbial infectivity in the equipment through the use of chemical agents with a germicidal effect.
'Disinfection' and 'sterilization' are distinct from 'sanitization', the latter referring to cleaning procedures designed to lower the microbial content of equipment without necessarily achieving elimination of all microbial infectivity or viability.

(和訳)
テクニカルノート:本規制において,sterilized とは,物理的手法(例えば蒸気)又は化学物質の使用を通じて当該装置から全ての生きた微生物を除去することを意味する。disinfected とは,殺菌効果のある化学物質の使用を通じて当該装置中の潜在的な微生物の感染能力を破壊することを意味する。disinfection(消毒) 及び sterilization(滅菌)は sanitization(除菌) と区別される。後者は,全ての微生物の感染能力及び生命力の除去を達成することを必要とせず,装置の微生物量を低減するよう設計された洗浄手順を指す。

化学物質による消毒への限定

 上の定義規定を読めば明らかなとおり,国際ルールでは,sterilization(滅菌) は物理的手法・化学的手法を問わず微生物を死滅させることをいうのに対し、disinfection(消毒) は殺菌効果のある化学物質を使うものに限定されている。また、disinfection と sterilization はいずれも、全ての微生物を殺滅できるものであることが必要とされている。

 国際ルールにおいて,化学的方法による消毒(disinfection)をすることのできる装置が,滅菌(sterilization)と並んで規制の対象とされたのは,化学的消毒法が,強力な薬剤(高水準消毒薬)を選択することで滅菌に匹敵する微生物殺滅効果を得ることができる手法であり,かつ,産業界において現に用いられているからである。

日本において定められた「用語解釈」

 滅殺菌の定義に関する上記の国際ルールが定められた際,日本では,これに対応する定義は法令上定められなかった。経済産業省は,貨物等省令に関する運用基準として「輸出貿易管理令の運用について」と題する通達を定めており,国際ルールで定義が置かれたことを受け,平成15年12月,この通達内に次のような「用語解釈」を追加した。

滅菌又は殺菌をすることができるもの
物理的手法(例えば,蒸気の使用)あるいは化学物質の使用により当該装置から全ての生きている微生物を除去あるいは当該装置中の潜在的な微生物の伝染能力を破壊することができるものをいう。当該装置中の微生物の量を低減するための洗浄処理のみができるものは含まない。

和訳の際に生じた重大な脱漏 

 もっとも同解釈は,国際ルールの原文を忠実に反映したものではなかった
 具体的には,原文では,第一文に「滅菌される」(sterilized)の定義,第二文に「殺菌される」(disinfected)の定義が置かれ,第三文に「滅菌及び殺菌」と「洗浄」の違いが定められているのに対し,経産省の用語解釈では,原文の第一文と第二文が1文に統合されたほか,原文の一部の文節が脱漏していた。脱漏した文節は次の2点である。

① 原文第2文の through the use of chemical agents with a germicidal effect (殺菌効果のある化学物質の使用を通じて)との文節
② 原文第3文の necessarily achieving elimination of all microbial infectivity or viability(全ての微生物の感染能力又は生命力の除去を達成することが必要)との文節

「脱漏」は経産省が意図的に行ったものか?

 論理的には,経済産業省が何らかの目的ないし意図をもって国際ルールと異なる内容の解釈を定めたものという余地もある。
 しかし,国際的な協調が特に重視される輸出管理規制において国際ルールと異なる規制を「法令の根拠もなく」行うことは,経済産業省の職権を逸脱するものである。
 また,経済産業省自身,上記用語解釈を定めた際,国際ルールにない規制範囲を独自に定めるものである旨の説明を一切行っていなかった。
 これらからすると,上記用語解釈と国際ルールとの齟齬は,経済産業省が国際ルールと異なる内容の解釈を何らかの目的ないし意図をもって独自に行ったものではなく,翻訳の際の単なる脱漏というほかない。

不備のある通達を拠り所にした立件

 ともあれ,これら2点の脱漏により,経産省の用語解釈は,文言上国際ルールの内容を忠実に反映したものといえないばかりか,まるで意味が変わってしまうという点において致命的な不備を抱えることとなった。
 本件各事件との関係でいうと,警視庁は,噴霧乾燥器に付属の乾燥用ヒーターを用いて装置内部に熱風を送り続けて内部を温め,装置内に残置した有害な微生物を何か1種類でも死滅させることができれば,「内部の殺菌をすることができる」との規制要件に該当するとの解釈を定立し,かかる解釈に依拠して立件に及んだ。
 このような解釈が到底成り立ち得ないのは国際ルールから明らかであるが,経産省の用語解釈における上記2文節の脱漏は,警視庁に立件に向けた拠り所を与えることとなった。なぜなら、国際ルールが忠実に反映されていれば,「ヒーターの熱風による殺菌」が規制対象外であることは通達の文言上も明確となるからである。

<解説>他の国ではどうなのか?

 日本では,国際ルールで定められた滅菌・殺菌の定義が,法令で定められず,経済産業省の通達に「用語の解釈」として定められました。またその内容は,国際ルールの原文を忠実に反映されず,翻訳の過程で生じた脱漏の結果,異なる意味に捉えられる危険を孕むこととなりました。警視庁は,経産省の通達に記された用語解釈の不備を巧みに利用して,大川原化工機の立件に用いたのです。

 ところで,日本以外のAG参加国においては国際ルールはどのように反映されているのでしょうか。

 当事務所において調査したところ,生物兵器関連の輸出管理規制の整備自体が遅れているトルコ共和国を除き,すべての参加国(40か国)において,国際ルールが原文のまま,または自国の公用語に直訳されるかたちで,正確に反映されていました。

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