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世界の終わり(b)

 昨夜はなかなか寝付けなかったが、夜明け近くになってようやく浅い眠りに落ち、目が覚めたときにはすでに朝の九時を少し過ぎていた。
 窓の外は薄暗い曇り空。
 今日、私は銃殺刑に処せられることになっている。一昨日通告され、自宅待機を命じられた。
 昨日は身辺整理に明け暮れた。

 十時になったら、兵士たちがここに来る。
 彼らは私を拘束し、町外れへと連行するだろう。
 荒涼とした広場の隅にたてられた杭に、私は縛り付けられ、目隠しをされる。
 隊列が行進する足音が、私の前で止まる。
 号令とともに、彼らが銃を構える音が聞こえる。
 次の号令と同時に銃声が轟き、すべてが終わる。

 顔を洗ってリビングに行き「おはよう」と妻に声をかける。
「おはよう」と彼女もいつものように答える。
 壁の時計を見る。九時二十分。
 時計の横に、娘が幼かった頃に描いた絵が、画鋲で止めてある。色褪せた画用紙の中に、妻と娘と私が、並んで手を繋ぎ、笑顔で立っている。
 食卓にはパンとミルクと,オムレツの入った皿が二つ、並べられている。妻と私の、いつも通りの朝食だ。
「これが最後の食事なんだな」
「そうね」
 淡々とした妻の言葉に、私は少しだけ傷つく。

 昨夜のうちに逃亡することを考えなかったかといえば嘘になる。だが、我が家は厳重に監視されていて逃げ切れるとも思えない。それに、もし逃亡を試みたことが発覚すれば、妻はもちろん、離れて暮らしている娘やその家族にまで累が及ぶ。

 慌ただしく食事とトイレを済ませ、着替える。
 あと二十分。

 私は何の罪に問われたのだろう。
 上の命令通りに日々の仕事をしてきただけだ。誰を傷つけた訳でもないし、何の罪を犯したという意識もない。ただ、遥か雲の上の地位にいる一人の男が失脚し、その波紋に飲み込まれたということだ。悪い冗談にしか思えない。  

 私の命とはいったい誰のものなのだろう。それでもこの国で生まれ育った私は、この国の掟に従うしかない。ここだけが私の生きる世界であり、その世界が消えてしまった以上、私は今日、死ぬしかないということなのだろう。いや、私が死ぬから、世界が消えるのだろうか。つまり死ねば何もかも全てが終わりということだ。結局どっちなのだろう。
 いや、そんなことは最早どうでもいいことだ。どちらにせよ、私は死ぬし、世界は終わるのだ。

 時間が来て、ドアが荒々しくノックされる。
 せめて最後まで堂々としていよう。胸を張って銃口の前に立つのだ。
 私はコーヒーカップを置いて立ち上がり、妻と抱擁し、出来るだけゆっくりと靴を履いてドアを開ける。

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