きょういくとは、あみこみだ

教育とは、あみこみだ。

あみこみという
かみのけの

みつあみみたいな
やつを、ごぞんじだろうか

さいしょ、ちいさなほそい
さんぼんのかみのけのたばを

みつあみにする。
そして、そのほかのかみのけを
まぜこんでいき

おおきな、かわいい
かわいらしい

あみこみ、となるのだ。

きょういくとは、

あみこみかもしれない。

こどもがいきている

そのすがたに

いとうつくしく

できるだけ、しぜんなかたちで

おーろらみたいに、からふるな
ゆにこーんの
ぺがさすのあみこみみたいに

あみあみ、されて
つむがれていく

きょういくとは

まさに、

いきるちからを
やしなうための
機会だ。

こ、そのものが
いきる

そのすがたは、まさに

おとなに
さまざまなことをきづかせてくれる。

しかし、こたえをしっているつもりでいるおとなは

いともかんたんに
こどもの、まっすぐなそのせんたくを

わらって、まちがっているというふれーむをとおして
かるくわらいながら
なおすときですら、ある。

いま、ぼくらにひつような

きょういくとは、

なんだろうか。

あめのひも、さんぽにいく
せいかつ

はれのひでも、へやにとじこもりひたすらになにかにむちゅうになること

はれのひは、はれている

あめのひは、あめがふっている

そんななか、

ただひらすらに

いのちをいきる
そんな
いのちの、つむぎかたは

いかがだろうか
ぶるーそーだ
めろんs−だ

さくらんぼは、もう

いろづけしなくてよくないかい。

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