違う人間だけど、 たいせつなそんざいのかぞくであるこどもとのかんけいせいのつむぎかた
たいとるなが。
むすめとのせいかつでね
かんけいせいや
こみゅにけーしょんを
ていねいに
紡いでいけるように
ふたりで会話する、対話するっていうじかんを
間隔などをきめて
そういうじかんを、ていきてきにとりいれたいとおもい
じゃぁ、どのくらいのひんどで
いつ?
どんなたいみんぐで?とりいれたらいいのかな〜あたまのなかでさがしたけど
そういう、いつのなんじとか、しゅうになんかいとかるーるをきめないほうがしぜんだなぁ
なんておもったり
でもあれだよね
かんかくてきに
ちかくのかいほうてきなばしょや
ばすですぐのところだけど、なんこかでついちゃうけど行ったことがない場所のこうえんとか
あこがれのホテルのらうんじなど
なんか、すっときもちよく
ひろびろとすごせるときを
いしきてきにとりいれて
そういうところで、こどもからはっするえねるぎーとか
ふだん、しまっていたからみえなかったことばとかおもいとかしぜんにほうしゅつされることをみまもりみつめたりしながら
そういうなかで、ことばをつかってよりいっそうこみゅにけーしょんをとる
ていうこと、こみゅにけーしょんなきがする。
かぞくや、おや、母親であれちちであれ
だれであれ
「このたこやき、おいしい」
そのひとことを、たいせつにうけとめてくれるひとがいて、そのひとことでさえもたいせつにうけとめてもらえるというけいけんは
生きる安心やじぶんへのあんしんかん、そしてちいさな自己への安心感みたいなのにも
つながるのかもしれない
きみがあいすをたべて、おいしいとえがおするとき
ぼくはそのえみに、こころよろこぶんだ
そんなあらゆる
いろんな事象、こうずを
みんなでたいせつにしていけるよのなかがうれしい
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