ほんね。
しこうの
しりとり。
むかし
まだわたしが
ちいさかったころ。
といっても、ちゅうがくせいとか
そのくらいだっただろうか
ねるまえに、ふとんのなかにはいっては
いろんなことをかんがえるじゃん?
たとえば
(おぼえていないから、このことばたちは
たとえばなんだけど)
かにのせいざあるよね
あ、かにぱんあるよなぁ〜
そいえば、かにぱん
上野動物園のまえにあるこうえんでむかしたべたなぁ
てか、そこのかえりにおだんごたべたけどべびーかーはいれるかなって
おもったけど
そんなこともあったなぁ
みたいな
で、
いま、そのべびーかーのできごとをかんがえてるのは
なんでだっけ?って
しこうの足跡をじぶんでたどる
っていうときのすごしかたが
ねるまえのわたしは
ふとんかけながら
たぶんめもつむって
くらい
でんきもけしたくらいへやのなかで
脳内でしていたことがあった
あー、
どうぶつえんで
かにぱんでー、、、
うーーー、
そうそう
かにのせいざだ!
みたいな
まぁ、だからなにってはなしだけど
そういう
しこうのたんけん
みたいな
ときのすごしかたを
べつにだれにおしえてもらったとかじゃないんだけど
そうやって
ねるまえの
じぶんだけのすぺーすって
だいじだよね。
おきてても、だいじなんだよきっと。
そのきみのぺーすでいいかんけいとか
その
ありのままのきみのすがたを
いちどぜんぶ
どぼんと
みとめてにんしきして
くれるひとのそんざいとか
だから、まずはおかねをはらって
いいカウンセリングをうけれたらいいとおもうんだけど
もっともっと、ほけんでてきようになったらいいとおもうんだ。
とかいでくらしているからかな
わかんないけど
ひととひとのかんけいのきょりがちかすぎて
おとなでさえ
ぶつけるみたいな
コミュニケーションをかんたんにしてくれる。
そこに
たがいのほんしつを
たいせつにできる
対話
というがいねんは
どこまであるのだろうか。
あー、ほっかいどうでくらしてみたい。
ぼくじょうでおひるねして
うしがきたら、にげる
みたいな
もうはっぱとかぜと
くうきだけを
たくさんぴゅあにかんじて
生きたいよ!
わたしもよく
ぶつけてるのかな
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