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新緑の季節。読書の話から。

文筆家の塩谷舞さんの新刊を読んでいます。
「人が好きなものを語る言葉」がとても好きなのですが、
その中でも塩谷さんの文章は、一番かもしれません。

1つには、美しいものや古いものを好む塩谷さんの興味や視線に共感できるからで、それから、物事を細かく書きとらえる彼女の筆致に触れているのが好きだからです。読んでいて心地いいと感じます。
そして、誰かの「好き」に触れていると、自分の好きを振り返る時間を持ちたくなります。


桜の季節が終わろうとしている今の時期だからか、
いま僕の目に留まるのは、新緑です。

この頃毎日仕事で忙しくしているので、水分補給をするように、土曜や日曜に近所の公園を散歩します。
好きなのは、紅葉(もみじ)のような薄い葉の新緑です。
表から見ると陽光に照らされて明るく輝き、
裏に回ると陽光を透過させて淡く緑に光ります。

植物は大抵、群生して生えています。砂漠の中で1本だけサボテンが生えているような映像を思い浮かべることもできるけれど、そういうケースは(あったとしても)稀で、木々や花々はたいていの場合群生している。
そのとき「葉の厚い木々の下」には、光が十分に届きません。そこには暗い森が生まれます。そういう森を歩くことも静けさを感じられていいものだけれど、薄い葉をもつ木々の下には、柔らかいながらも光が届きます。

はじめてそのことに気がついたのは、大学生の頃、京都・金閣寺に行った時でした。
金閣寺に入ってすぐ、たくさんの紅葉が植えられていて、その紅葉が夏の明るい太陽に照らされ、緑色に輝いていました。息を呑むとはそのことで、金閣を目指して門を通った僕は、緑色に光る世界を目にして、自然と深く深呼吸をした。
あのときの僕は、大学受験を終えてやっと勉強という重荷を肩から下ろし、一人暮らしの生活を楽しみ始めた頃でした。子供の頃からの習慣で理由なんてよくわからないまま勉強をしてきて、その量は年々増えて、幼い頃からの習慣だから気づかなかったけれど、大学受験を終えた時に「ああ、こんなに苦しかったのだ」と気がついたのだと思います。
「やらねばいけないこと」がグッと減った生活が始まりました。特段、珍しいことはありません。大学の講義に出て、本を読み、映画を見てバイトをし、旅行する。
ただ、その繰り返しが形になってきた頃に出会ったのが、京都の新緑の紅葉でした。決しておしつけがましくなく、ふわっと周囲を包み込む光を、僕は何かの象徴のように捉えたのかもしれません。

今は、「意味もわからずやらなければいけないこと」は、ほとんどありません。自分で仕事を作り、少しずつでも人に貢献する生活は性に合っていると思います。けれど、おかげさまで忙しくしているといつの間にか息は切れるものなので、こうして春の今の時期に明るい緑に触れることは、生活にバランスを取り戻す大切な時間だと感じています。

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