集団行動が苦手なのかもしれない
旅先の一コマ。蕾の桜を思いに耽りながら眺めた後、まだまだ自分の行きたい場所に行く。
…予定だった。仲が良いとは言えない友達から連絡が入り、同じ行動をしなくてはいけなくなった。憂鬱である。
合流するべく道中のバス。電光掲示板が消えており、料金がわからず運転手に聞いた。運転手はため息をつきながら、「(一律料金のため)そこに書いてある。」と言われ、その態度にムカついて口論になった。
…ここで目が覚めた。今日見た夢である。
「なんだ夢か…。」
なにかメッセージ性のある夢だった。頭の中にある考えをスマホのメモ欄にメモしていると眠れなくなった。
時刻は深夜0時を過ぎたあたりである。ちなみに夜8時に寝た。
結論から書くと、私は集団行動が苦手なんだと思った。今まで思ったことはない。ただ、集団行動が苦手なわけではないと思い込んでいたのだと思う。
集団行動には、相手に合わせることも必要で時には我慢を強いられる。
夢に戻るが現実であれば、運転手に同じ態度を取られても、流しているかその場では我慢してその後に何かにイライラをぶつけていただろう。
友達と旅行するとなれば行きたいときに行きたい場所だけに行けない可能性もあり、相手と折り合いをつけないといけない。
自分の思い通りにいかないこと。それが、集団行動だと思う。
しかし、人間は難しいもので、初めてなことや想定外のことにワクワクする人もいれば、不安に思う人もいる。
私は後者のタイプだ。そんなときは信頼できる誰かがいて欲しいとも思う。我ながらとてもワガママだ。
何かの作業(仕事)でも同じことが言えるかもしれない。例えば畑の草むしりをしているとして、誰かがいると一人で行っているときには感じない相手のペースを意識してしまい、自分のペースを乱されることがある。
相手と比較してしまう悪い癖だ。本来であれば、人それぞれの能力に応じたペースがあるし、場所によっても草の量がマチマチであるはずなのに。
昨今の競争社会においては上司に「遅い!」「ちゃんとしろ!」と怒鳴られることもある。速い人や能力が高い人、素早く正確にできる人が基準の社会である。それが潜在的に「普通」となっている。
生きづらい世の中である。
では、散歩会はどうすればいいのだろうか?「会」がついているので一つの集団ということになる。誰かに我慢させることにもなりかねないと思った。
時間と場所だけ共有し、途中で抜けたりなどあとは自由でもいいのか。むしろ時間も場所も決めず、日にちだけを共有することで特定の地域だけにとどまらず、世界各国の方々と同じような気持ちを共有できるのかもしれない。日にちも「今週」くらい曖昧にすることで参加したいけど参加できない人も減らすことができる。
どうしようか散歩会。涙
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