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Leicaが見たIndia ー Through Leica ✈︎ Final

前の記事からだいぶと時間が経ってしまった。
すっかり閉幕まで書き終えたと思っていたけど、忘れていたので旅から半年以上経った今、振り返りながらインドへの想いを綴りたいと思う。

Leica SL2-Sを持って旅したインドの記録


ただいまMumbai

聖地と言われる理由をなんとなく感じられたバラナシでの2泊3日を終え、再びムンバイへと戻ってきた。
旅の始まりも終わりもムンバイからである。

インドの首都はデリーだが、ここムンバイはインドの最大都市である。日本の約9倍もの国土をもつインドの中央部西側、アラビア海に面しているお陰で古くから港町として栄えヨーロッパとの貿易もさかんであったという。
大都市が故に、起こる問題もあり記憶にも新しい2008年にはムンバイ同時多発テロもあった。

4年前、2019年にインドを訪れた際もムンバイを出入国の拠点とし国内を巡った。その時に訪れることができなかった離島に、今回はようやく行けることとなった。


エレファンタ石窟群

ムンバイは大きな港をもっているため、小さな島に1Day tripができる。その中でも一番有名なのがエレファンタ島。そしてそこにあるのが世界遺産エレファンタ石窟群で、6 - 8世紀に作られたヒンドゥー教の寺院である。

ムンバイの中でも一番南にある港から船で1時間半。時刻表などはなく、満席になったら船が出る。なんともインドらしいと思いつつ、無駄のないシステムでもあるなと妙に感心した。
チケットは往復260ルピーで日本円にすると500円ほど。カレーが140ルピーで食べられるインドではなかなか高額ともいえる。

船には観光客ばかりかと思っていたが、意外にもインド人が多くいた。目の前に、身なりの良い家族が座っていたので話しかけて聞いてみるとデリーから来たという。

船に乗るとカモメに餌をやりたくなるのは世界共通
デリーから来たぼうや


インド国内はどの都市であっても貧困の差は大きく、街を行き交う人々の身なりを見るとそれが一目瞭然である。この男の子のお家は、きっと使いたい時に温かいお湯が出て、家には鍵がかかり、洗濯機で洋服を洗っているだろう。

テロがあったタージマハルホテル

景色を見たり写真を撮ったりしてる間にエレファンタ島に着いた。船を降りてから数十分歩く景色もまた楽しい。

大気汚染がひどく水平線は見えない
観光地らしくお土産屋さんが立ち並ぶ


石窟群に入るには入場料が必要。インド人は40ルピー(70円ほど)なのに対し、インド人以外の観光客は600ルピーだった。

こんな岩をどうやって掘り進めたのか
美しい光が差し込む神殿
柱一つ一つも巨大

エレファンタ石窟群には5m以上もある巨大なシヴァの三面上半身像がある。
3つの顔はシヴァの本質的な側面(創造、守護、破壊)を示していると言われている。
またあの聖なる川、ガンジス川はシヴァ神のもつれた髪の毛から流れ出ているとも考えられている。

シヴァ神三面上半身像

対比となる人がいないとまるで仏壇の仏像くらいに思えるが5m以上の大きな壁面に掘られた像である。
石窟の中には至る所に石像が掘られていた。

ガネーシャはシヴァの子供
リンガに触れるインドの女性

この丸い大きな石。これはシヴァ神の男根と言われておりシヴァ神の象徴とされている。男根というとなんだか卑猥に聞こえるがここではリンガと呼ばれている。シヴァ神=リンガはインドの常識でもあるほどに有名。
シヴァ神がメインで祀られている聖地には必ずあるもので、エレファンタ石窟群にも多数見られた。
もう一つ興味深いのはこのリンガが鎮座している台座は女性器として扱われ、つまり男女の神が一つになることで初めて完全なものになるというヒンドゥー教の教えにそったもの。またリンガが鎮座しているこの狭い空間は女性の胎内を表しているんだとか。

奥の明かりにのところに見える丸い筒のようなものがリンガ

その国の文化や宗教、歴史を知るとその旅がより深くより思い出に残る。ただ写真を撮る旅も悪くないが知識と合わせて写真を残すと、そこに深い情を吹き込むことができるように思う。実際、1度目にインドを訪れた際には全くなかった知識を二度目に持って行って、さらにインドが好きになり同じ景色を見ても心に入る熱量が全く違っていた。

世界遺産に座り水を飲む子たち
これでも小さい方の神殿。いかに大きいかわかる。

エレファンタ石窟群は17世紀にポルトガル人が銃の練習場として使用したため多くの石像が破壊されてしまっているが、それでもインドの人たちにとって大切な信仰の場所にもなっている。観光客ならず国内からも多く訪れる理由がよくわかった。
なんとなく、私たちが清水寺に行ったり浅草寺に行ったりするのに似ているのかもしれない。



ドービーガート

ムンバイのもう一つの魅力ある場所といえばドービーガート。Dhobi Ghatと書く。
この場所を簡単に説明すると「洗濯屋スラム街」である。

エレファンタ石窟群に行った翌日、そこに行くためにローカル電車に乗ってみた。

駅のコンコース
ローカル線の切符、2等列車は5ルピー(10円)
ごっつい列車
基本ドアないから顔出し放題
女性専用車両もある
一等車両は25ルピー(50円)で乗れる

4駅ほどのささやかな冒険はワクワクした。
旅先の列車ほど旅情を掻き立てるものはないだろう。例えそれが市街を走る近代的なものでも私は必ず現地の電車に乗りたいと思う。生活に根付いた列車では、そこに暮らす人々の鱗片を見ることができるからだ。


駅を降りてからドービーガートを目指し少し歩く。

ええお腹
どこの国も同じもんだね

ムンバイといえども少し市街から離れれば(いや、市街の中でも)インフラはほとんど整っていない。舗装されてない道路ばかりで、埃が舞い上がる。
ここに住むには勇気がいるが、旅の間は日本との違いも含めその煩雑な街並みを楽しんだ。


そしてようやくドービーガートに到着。
ここに入るには入り口に立つ「門番」のような人にお金を払う必要がある。2019年は150ルピーほどで何時間でもいられたが、値上げしており今回は交渉して200ルピーで30分にしてもらった。


まずは1枚の写真を見てもらおう。

そびえ立つ超高層ビルのすぐそばに、イギリス植民地時代に作られたインド最大の洗濯場、ドービーガートがある。
4年前、このショッキングな絵を見て以来、心のどこかでこの地に住む彼らがどうしているのか時々気になっていた。パンデミック中も、彼らには仕事があるのだろうかなどと想いを馳せたこともあった。

再び訪れることができて心から嬉しく思う。

ここにはその昔、7000人を超える人が所狭しと暮らしていた。

ここで生まれ育つということ

インドではカースト制度が根強く残っている。
4つの階級があり、さらにそれに属せない民のことを不可触民と呼ぶ。不可触民は「死・血・体内排泄物」に携わる仕事をしている人たちのことで、ドービーガートで洗濯を生業とする彼らも不可触民である。つまりカースト制度の底辺ということだ。

下は洗濯場 上は住居
洗濯をしつつ自分も洗う
とにかく狭い
ひたすら洗って干す
工夫を凝らしながら干しまくる
芸術のようにも見える

以前は多かったドービーガート人口も2019年に訪れた時に話したおばあさんによると800人ほどに減っているという。
その理由は自動洗濯機や乾燥機などの機械の導入、若者の出稼ぎなどである。

ここに集まる洗濯物は、レストランやホテルの制服や、中古品をきれいにして新品として売り出す物、そして町のクリーニング店からの依頼品など。しかも1枚10円程度で洗うとのことで、安すぎる…と衝撃を受けたが年間で日本円にすると20億円以上もの売り上げを叩き出すこともあるそうで、スラム街と言えども経済はきちんと回っている。
そう言えば、ドービーガートで声をかけてきた若者はiPhoneを使っていた。私たちが想像しているほど、ここの人たちの暮らしは困窮しているわけでもないのかもしれない。

とは言え、朝から晩まで洗濯をして生きる。
ここで生まれれば、洗濯をして生きることがある程度宿命づけられてしまうだろう。しかし4年前に話したお婆さんによれば、ここを出て外の世界で働く若者も増えているという。生まれながらに人生が決まる時代は変わりつつあり、宿命だった洗濯屋さんに別れを告げて新たな人生を築くこともできないわけではない、そう思うと心が少し軽くなった。

我々日本も時代と共に、人々の暮らしや習慣が変わるようにインドは今高度経済成長の最中にある。
物価もどんどん上がっており、元に4年前と比べるとカレーの値段が20ルピー上がっていた。

この時見たインドも数年後には変わっているだろうし、このドービーガートですら十数年後には過去の遺産となりうるだろう。


そんなことを考えながら再び電車に乗って街中へと帰る。

1等チケットで乗った車両にエアコンはなかった
駅で若者たちに写真撮ろうと誘われた


写真は人生の付箋


長かったインドの旅も終わりを告げようとしている。本当に濃い12日間だった。
振り返ると、どの瞬間も愛おしく感じられるのは私が単にインド贔屓だからではない。
時折、インタビューを受けると私にとって写真は何かと尋ねられることがある。私は写真は人生の付箋であると思っている。
この記事を書いている時、すでに旅から9ヶ月が過ぎようとしているのにも関わらず、1枚1枚写真を見返すと、それが何気ないものでも「この時はこうだった」と思い出すことができる。
インドではLeicaだけでも1000枚を超える写真を撮った。それでも、写真を見返せばその時の温度や風の匂い、音の波を思い返すことができる。

このあとおばさんにシッシッとされたワンコ


インドで人生観が変わったか?と聞かれることがある。私の答えは「たった1週間やそこらで簡単に人生観が変わってたまるか」である。1度目も変わらなかったし、2度目も変わっていない。
インドに来れば、人によっては衝撃を受けることもあるだろう。私も相変わらずカルチャーショックは何度も受けている。全てのことが日本と違うからだ。

ただ、どこか他人事になってしまう。
だって私は日本人で、帰るべき家は日本にあり、温かい便座とウォシュレットがついたトイレが待ってくれている。インドの過酷な環境に身を置いているわけでもなく、ホテルもそこそこきれいで、日中の限られた時間だけ異世界と接しているだけなのだ。
スラム街を目にして心を痛めることはあっても、施しをできるほどの勇気もない。

私にできることがあるとすれば、写真を撮って記事を書いて「インドに行ってみたい」と思う人が一人でも増えること。そしてインドの経済を少しでも回すこと。その程度しかない。

霧ではない、埃だ
ここが道だというのは錯覚かもしれない

人生観は変わらないかもしれないが、人々が「生きることにフォーカスしている」「遠い未来ではなく今日、明日を生きることに一生懸命」な姿を見れば、今の自分の悩みなどが笑いたくなるほどちっぽけだと思う。そして些細なことでネガティヴなマインドに陥らない強い心を持てるようになる。


何度でもインドに行きたいと思うのは、彼らから生きる力をもらえるからだと感じる。

また必ず会いに行こう。

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