中年になってゲームに注力。 若干仕事や家庭に余裕が出てきているのか。 中年の危機なのか。 何かに依りたいのか。 とにかくぼーっとしたいのか。 何なんだー!
自分に起こったことではないけれども、心が痛い、ということはある。 心が痛いとはどこが痛いのかは漠然としているが、そう表現する。 ただ、他人も同様に感じているかは、なかなかわからない。 何故そんなにお気楽なのか、と腹を立てることはあるが、 もしかしたら、他人も頭の片隅でそんな感覚はあるのかもしれないと、 今では思い直すことができる。 人は自己中心的であるので、他の人への思慮は難しいことだと思うけど、 他の人へ思慮や配慮を見せる人は尊敬できる。(なかなかいないけど。) 尊敬される
生来、疑い深い性格というか、人を信じきれない性格というか、 そのような生態で生きてきた、と思っている。 そんな自分に変化があったのは、家族のおかげ。 性格は変わらないと今でも思っているが、 芯の部分は変わったのかもしれない。 芯の部分には、皆が思う実家(幼少期を過ごした家)のようなものがあって、 そこにしなやかな材料で作られた柱が加わったような、そんなイメージ。 この点、感謝しているし、感謝ってこういう事なのか、と思う私。
年末の大掃除もそこそこに休みを満喫する。
この歳になるとなのかはわからないが、 各臓器が故障してくる。 故障は心の臓に及び不整脈になっている。 これが非常に厄介で治そうとしても治せない、 というのが結論。 老化でない場合、心に関係することが多いからだ。 不整脈が出ると焦る。 そして、常に頭に不整脈というキーワードがちらついている。 よって、不整脈を思い出す事になり、心因性だと思われる不整脈に 負のループとなる。 ほんとに厄介だ。
さてさて、どうなることやら。 来月本格治療をすることになるのだが、不安が襲ってきている。 もちろん初めてだからだが、この不安との戦いが続くので、 精神面でなんとかなるのか、ならないのか。 しかしながら、一日一日を後悔ないように過ごす事。 まずはこれで行こう。
できるなら家で仕事をしたい。 現在は家でできる仕事も多い。 その仕事を選択しないのには理由がある。 職を変えるのも簡単だと知っている。 では何故かな。
いわゆる日常を過ごしていると、 周囲に同調しているだけで、 自分で決めていないように感じる。 そこで、そんな自分を感じている場合には、 自分にとって快であるか不快であるか、で 判断するようにするようにした。 これによって、ちょっとした不満は、 解消されたような気がする。 単に気持ちの持ちようかもしれない。 けれども判断基準がなかった自分が、 基準をもって決めた、という事実が重要だと思う。 これも快。
常に頭の中にモヤモヤがある。 モヤモヤといっても悩み事ではなく、 起こる可能性が非常に小さい事に頭が囚われている状態。 皆さんもあるのかなぁ、と電車で周りを見回す。 スマートフォンの画面を見ている人、 本を読んでいる人、 目を閉じている人。 モヤモヤは見えない。
空気が変わっている。 花粉が大気に漂っている。 太陽の光の質が変わってきている。 暖かい風が顔を撫でる。 春はもうすぐそこまで。
朝の散歩、略して朝サン。 朝5時に起床し、30分くらいまったりしてから、家を出る。 鳥たちのさえずりを聞き、川沿いを歩きながら、季節の移ろいを楽しむ。 30分程度で家に帰宅する。 というような理想的な朝の散歩はしたことがない。 いつも寝る前に考えているが一度も実現せず、二度寝をかます。 これが自分という人間。
自宅からオフィスまで1時間かかる。往復で通勤2時間。 1日の12分の1の時間を通勤で使用している。 年を重ねるほど思うのが時間は有限ということ。 その2時間を家族と過ごすのも、本を読むのも、 ゲームをするのも、この通勤という行為よりは全然良い。 時間は有限、このことを皆立ち止まって思った方が良い。 在宅勤務は好きである。
健康な身体でい続けていると思っていた。 しかし、いろいろな事があって病気の状態になった。 薬を飲んでいる限りは普通の生活はできる。 薬を飲んでいる限り。 健康であるというありがたさは、 こんな状態にならないとわからない。 だから、他の人に「これはこうした方が良いよ」なんてことは伝わらない。 つくづく人は身体性が伴わないと自分事化できない。 悲しいけどそれが人間の愚かさであり、 人間たらしめる一つの特徴だ。 やれやれ。
鍼を一旦受け始めたら最後、 鍼をしないとなんだか不調になる。 鍼の効用が大きいからなのか、 鍼の中毒性のようなものなのか、 鍼との付き合い方には気をつけなければならない。
もし、仕事をせずに過不足なく暮らせるならそうしたい。 仕事しない分暇になるので、それを埋めることができるのか、 その暇を有意義に使える自信はなかった。 ただ、最近は本を読むことに集中できるようになったので、 もしかしたら、いけるかもしれない。 しかし、不足が生じることになる。 よって、仕事をする必要が生じる。 今、仕事をしている。
春の足音。 聞いたことがないけど、日に日に陽気度が増している。 自分はというと花粉症のため、外には出たくないが、 この陽気を感じたいという、毎年恒例の気持ちの引っ張り合いが続いている。 残念ながらこの春の陽気感は外に出るしか味わえなく、 代替手段がない。 出るしかないのか。