『Vtuberと中の人は別』という嘘

るしあが出演したホロぐらを観返しながら、潤羽るしあがもう居なくなってしまったという事を改めて実感して一人しんみりするなどといった不毛な事を自分がしている間にも、Vtuber業界では日々色んな事が起きていますね。

そんな中で今回話したいのは、ここ数日話題になっている二つの件に関連する事です。

その二つというのは、もう皆飽きるほど見たでしょうけど、

これと、

これです。

自分がそういう界隈の人をフォローしまくっているので当然ではあるんですが、ここ2、3日でこれらの件についてのツイートをそれはもう山ほど見ました。

皆それぞれ思い思いの意見を発信していましたが、その中でもとりわけ多くの人が言及していたのが、「Vtuberとその中の人」についてです。

特に最近はるしあの事もありましたし、現在進行形でキズナアイとその中の人が色々と騒がれているのもあってか、「Vtuberはキャラクターとして独立した存在」「Vtuberと中の人は別」「中の人がやった事はキャラには関係ない」という感じの方向性での意見を発信している人をよく見かけます。

自分が先日投稿した記事に付いたコメントにも、そういった内容のものがいくつかありました。

「Vtuberと中の人は別」
自分は、ここに疑問があります。
正確に言えば、この言葉の使い方を間違えている人が多すぎる、と思っています。


「Vtuberは生きてるキャラクターなんだよ」
「Vtuberはバーチャルの世界に住んでるんだよ」
「Vtuberはキャラクターだから、中の人なんて居ないよ」
「人間じゃなくてAIなんだよ」「神様なんだよ」「猫なんだよ」

これらは、いわゆる『お約束』です。
Vtuberがそれまでのキャラクターコンテンツとの差別化ポイントとして掲げる『コンテンツとしての売り』のひとつであり、Vtuberというコンテンツを楽しむために演者とファンが共有するある種の『嘘』であり『建前』です。

皆キズナアイが高性能AIじゃない事はわかっていますし、月ノ美兎が清楚なツンデレ委員長ではない事も知っています。
でもその上でVtuber達がそれぞれのスタイルで表現するその『嘘』に上手く乗っかって、可愛がったりプロレスしたり、設定から外れた言動で笑ったりする。
そうやって一緒になって楽しむ。
それがVtuberです。
「Vtuberは独立したキャラクター」等の考え方は、そのためのもののはずです。

そしてその『嘘』や『建前』は当然、Vtuberというエンタメの中でのみ意味を持つものです。

決して、当人が問題を起こした時にそれを擁護したり、問題を矮小化したり、問題から目を逸らし現実逃避したりするためのものではありませんし、エンタメ外の部分にまで持ち出すような話ではありません。

「Vtuberと中の人は別」というのは、そういう類いの言葉です。


とはいえ、彼らは彼らで自分なりの正当性を持ってそういった主張をしているのでしょう。
少しは彼らに寄り添って考えてみる事も必要かもしれません。
しかし、仮に彼らの主張を正しいとすると少々困った問題が発生してしまいます。

今となってはVtuber業界では当たり前になった誹謗中傷対策、その意味が失われてしまいます。
と言うより、そんなもの必要なくなってしまいます。
だって、その誹謗中傷とやらはVtuberに向けられたものなんですから。
生きている人間にではなく、キャラクターにです。
企業やその商品に対する不当なバッシングとして対処するならともかく、まるで人間を守るかのような誹謗中傷対策をとるなんてのはおかしな話です。
彼らに言わせてみれば、誹謗中傷に苦しむVtuber達は皆おしなべて無駄で不毛な事をしているようです。
今すぐやめましょう。
だって、「Vtuberと中の人は別」なんですから。

まさか、それとこれとは別だなんていう都合のいい事は言わないですよね?
「Vtuberだって一人の人間だ」と「Vtuberと中の人は別だ」を都合よく使い分けるような、卑怯で不誠実な真似はしませんよね?

今後もし彼らの大好きなVtuberが誹謗中傷に晒された時や、ななもりのような人間の被害に遭い、それなのに相手は何食わぬ顔で復帰し活動を謳歌しているというような状況になった時、彼らは一体どんな事を言い、どんな行動を取るんでしょうね。




最後少し意地の悪い言い方はしましたが、考え方や言葉、ルールの持つ意味を理解せず、使い方や使い所を誤るというのはこういう事だと、自分は思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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