夏の終わりに山を思う
何となく怠い身体を引き連れて、ホームコースを走り出す。時間が経つにつれ気温が上昇、やっぱり暑いではないか、と思いつつ、吹く風に冷んやりしたものが混じるのも感じる。9月に入った。コース途上、青い三角錐の山が見える。数日中に全ての登山道が閉鎖になる富士山だ。夏山シーズンは短い。
9月の終わり頃、槍ヶ岳に登った事がある。上高地の早朝、既に寒さを感じた。夏山でレインウェアを着ないで済む事はまず無く、この時も往路は降られた記憶がある。北アルプス最初の山が槍ヶ岳で、当然穂先に登るつもりだったが、荒天を押してまでは遂行するつもりは無かった。昼過ぎに着いた山荘で、「今登っている人は居ないよ」とのスタッフの言葉通り、穂先は霧雨に覆われて真っ白だった。登頂を翌朝に変更した。落ち着くと一気に登り上げて来た身体の熱が急降下し、ダウンジャケットを着てストーブで暖を取るも、冷えは収まらずボーッと体育座りしていた。
登頂という課題を残して起床すると、冷え込んだ外は晴れ。朝の早い山小屋の朝食を待たずに、穂先を目指す。山を始めるずっと前、私は高所恐怖症だった。それはあちこちの頂きを踏みながら克服した、と言うよりも、敢えて経験を重ね少しずつ慣れて行った、というのが正しい。怖がりだが準備を念入りにする、無理をしない、引き返す事も厭わない、この三つをいつも念頭に置いて。
山を登るうち、「素手」が1番良いとわかった。どんな滑り止めが着いたグローブよりも、この手だけで岩場や鎖を掴むのが1番安心で、1番信じられる。登り始めた槍の穂先は、まだ明け切らないのに岩が仄温かく、逆に人工の太い鎖が鋭く冷たかった。物事や状況をこの時ばかりは俯瞰して見るような事は一切辞めて、一歩一歩の足の置き場、掴む手が握る物、次のステップは何処か、それだけに集中した。何度も何度も繰り返し見た、穂先登頂の動画の通りに梯子や杭が出て来る。自分の呼吸音が他人のもののようだった。
最上部の梯子を数段残して登っていると、上から男の人がヒョイと顔を覗かせて、「お疲れ様!」とニッコリ笑った。さして広くない頂きに登山者が数人居て、写真を撮り合ったり興奮気味に話したりしていた。「あのとんがりに、今居るのだ」と思った。遥か遠くからでも、天を突くとんがりは特徴的で、山に詳しくない人でも山座同定出来る。眼下に朝陽を浴び始めた山荘を見て、下山にかかった。
槍ヶ岳を皮切りに、別の年も上高地に通い、穂高連峰に登った。どの山も少し怖い場所があったり、ヒヤリとした瞬間もあった。何かが一つでも違っていれば、怪我を負う事や、死ぬ事だってあっただろう。だがいつも帰って来れた。他の日本アルプスも含め、山はいつも「今この瞬間」に最集中させてくれる場所で、お花畑や山ご飯に夢中な山友達と違い、黙々とただ山に取り組む事が好きだった。
中位のザックを二つだけ残して、山用品を手放した。私が山に登る事はもうない。残した山行はあるけれど、やり切った。あの時のように周到な計画と、緻密な準備をするのに今の私は向いていない。山で味わった孤独や厳しさは、日々の暮らしに直接役立ってはいないけれど、「死」がすぐ隣にある場所で、私は必死に「生」を手繰り寄せていた。そんな事を時々思い出す。