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忘れてしまった自分

「江戸時代の身分制度は士農工商だよ」
唐突に電話越しの彼女が言った。何のことかと思ったら、小学校の授業の質問で僕がそう答えたらしい。そのとき僕と彼女は隣の席で、なんでそんなこと知ってるの?と訊く彼女に、「教科書に載ってる」と素っ気なく不機嫌そうに答えたそうだ。そう言われてみれば、そんなこともあったかもしれない。まったく記憶にないが、なんとなく想像がつく。そして当時は自覚していなかったであろう、その不機嫌の理由も今は想像がつく。

その彼女から小学校の同窓会の連絡がきた。卒業してから二十数年になる。僕らが通っていた小学校は学年に2クラスで約70人、そのほぼ全員が近くの公立中学に進学する中で、僕は毎日塾に通い、少し離れた私立中学に一人進学した。定期的に連絡を取っていた友人は彼女を含めてゼロだった。当時のことはあまりよく覚えていないが、自分史上もっとも無邪気だったはずのあの時期、ほかの人から見た自分がどんな子供だっただろうかと興味が湧いて同窓会に参加することにした。

同窓会の当日、あるいは最中だったかもしれない。そういえば同窓会はこれが初めてではなかったことを思い出した。うん……、10年ほど前に1回あった。不思議というか間抜けなことに、僕は前回の同窓会があったことをすっかり忘れていて、今回が二十数年ぶりなのだとばかり思っていた。本当に僕はすぐに忘れてしまう。

そうだった。前回の同窓会の後に、会えなかった同級生で思いつく名前を何人かFacebookで検索して、それで彼女にメッセージしたのだった。プロフィールを見ると、彼女はアメリカの大学に進学していて、今は翻訳の仕事をしているらしい。アメリカでのニックネームなのか、見知った同級生の名前にミドルネームがついているのがなんだか可笑しかった。


彼女と卒業後にやり取りをしたのは2回しかない。1回目は前回の同窓会の後のFacebookのメッセージ、もう1回は彼女が、僕たちの同級生同士で結婚した夫婦と会ったときに僕の話題が出たといって連絡をくれたのだ。そのときに電話をして、それで士農工商の話になったのだった。

掃除の時間とかによく即興で歌を歌って踊っていたよね、と言ったら今度は彼女の方がまったく覚えていないようだった。僕はばっちり歌詞メロディー付きで覚えている。結構恥ずかしい奴だ。あまり恥ずかしがるので、さすがに歌うのはやめておいた。10年前なら反応見たさにいじわるで歌ったに違いない。

ただ、アーティスティックな印象だったよ、とだけ伝えた。僕が彼女のことをよく覚えていたのは、当時の僕は歌ったり踊ったりなんて大の苦手で、そんなことが自然とできてしまう彼女に強い憧れと尊敬があったのだろう。不思議なもので、今では歌うことも踊ることも結構好きだ。当時の僕からしたら信じられないだろうが、きっとそれはそのときの憧れと繋がっている。

その後、お互いに当時誰が好きだったという話をした。僕が当時好きだった女の子のことは、彼女には気づかれていたらしい。普段反応が薄いだけで隠すことができない性格はどうやら昔から変わっていないようだ。答え合わせの結果に、やっぱりそうだよね、と満足げだった。一方僕は当時ほかの人が誰が誰のことが好きかとか、まったく考えもしなかった水面下の世界が見えたのがとても新鮮だった。

同窓会は面白かった。
まず受付の名簿で全員の名前が分かってちょっと安心した。顔を見ると男は一目見て誰か分かる一方で、女子はまったく分からない。それは僕だけではなかったようで、男女がきっぱり別れた配置で座り、男の間でこそこそ指をさしながら、あれだれだっけと言い合う中で、謎の連帯感が生まれた。

しばしの緊張感はあったが、女子も綺麗になって化粧で飾られているだけで、少し話してみればすぐに昔の時間に戻った。当時内向的だった女の子がとても社交的になっていて驚いた。訊くと内向的な自分がずっと嫌で自分を変えたいと思っていたそうだ。当時の印象が変わっていても変わっていなくても、と、その時の時間があってこその今があるのだなという、納得感があった。そこにはおぼろげな記憶そのままの世界と、その先に流れたそれぞれの時間があった。2次性徴があるかないかの頃と今の外見・内面の印象が自然に繋がっているのがなんだか不思議だった。

そういえば、今自分が自己紹介をするときにいうことと言えば、仕事の話、趣味の話、最近面白かったことくらいで、小学校以前のことはまず話すことはないことに気づいた。しかし、今では自己紹介されることのない自分がそのころから確かに存在して、自分の人格というものはすでにその頃からちゃんとできていたのだなと実感した。忘れても憶えていなくても、時間も世界も、過去の自分も今の自分も繋がっている。繋がってできている。

同窓会は面白かった。
でも楽しくはなかったし、ずっと居心地が悪かった。今何してるの?と訊かれた時にその感覚が発動する。もっと遠慮がない場合には、どの大学に行ってどこの企業に勤めているのと訊かれる。なるべく気にしないようにしていたが、僕は当時優等生だと思われていたらしい。優等生だった君はその後何してるの?と訊かれる。そこにあからさまな好奇心と期待が見える。その居心地の悪さは、おそらく「教科書に載ってる」と答えた僕の不機嫌さと繋がっている。

何の因果か今コンサルタントなんていう胡散臭い仕事をしている。そのいかにも仕事一筋で意識高そうな印象の肩書は、仕事や成果が嫌いで記憶もおぼろげな意識薄い系の自分の実感と一致しなくて、なかなか慣れることがない。今何してるの?という、答えを想定した期待に、自分の違和感・実感をどうやっても伝えられる気がしなくて、適当に仕事の話を濁してしまう。一瞬空気が止まる。ああ、居心地が悪い。

「教科書に載ってる」というのはただの事実であって、答えられたところで褒められるようなことでもなんでもないと当時の僕は本気で思っていた。自分が好きでもない、誰がやっても同じ答えにしかならない勉強なんかよりももっと意味があることがあるはずだった。

そう、僕にとっては、絵や作文や歌や踊りが上手にできることの方が余程すごいことだった。勉強ができるということは僕の個性である反面、僕にとってはそれ以外の僕を塗りつぶす外圧であった。それを褒められて嬉しいと思うことはなかった。それは不当に評価されているという罪悪感であり引け目だった。普通であろうとすればするほど、周りからはきっと優等生面をしているように見えたに違いない。結果、同級生に対して心理的には距離をとっていて、それは相手にも伝わっていたのだろう。

だとすると、この居心地の悪さは当時とのギャップではなく、むしろ僕の変わっていないところなのかもしれない。忘れていた、今自己紹介されることのない自分がここにいた。でも余計な心配などしないで安心して忘れてしまっていい。ずるずると過去を引きずなくても現在の僕は過去の僕でできている。忘れていても僕はちゃんと繋がっている。

結局彼女とは同窓会ではほとんど話さなかった。彼女は周りに常に気を使い写真を撮ったりして、周りと打ち解けながらも微妙な距離を取っているように見えた。彼女にもなんらか居心地の悪さがあったのかもしれない。僕はと言えば、たぶん前のメッセージと、電話と、今と、それと二十年前とのかみ合わなさに、どうすればいいか分からなかったのだと思う。同窓会の終わり際に、僕が連絡してくれてありがとう、と言ったのに対して、彼女はまたドヤ顔で「江戸時代の身分制度は士農工商だよ。」と言った。


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