自分のために書く

誰かにわかってもらうための言葉は苦手だ。
必要性は十分わかっているが、どうも自分の心の整理整頓としての言葉をまず、考えてしまう。

小学校高学年の頃、友達が0になった。
理由は少し後に自分でもわかるくらいに、明白だった。

恐ろしいくらい私はしつこくて、言葉を額面通りに受け取りがちで、融通が効かなくて、他人の気持ちがわからなかった。
何なら怒りに任せて暴力を働いていたこともあった。

たしか喧嘩して友達に平手を喰らわしたと思う。
学級委員が私に言い放った「暴力はいけないよ!」という言葉が耳に焼き付いている。

私と同じ名前の学級委員だった。
そんなことわかっているし、その通りだが、私がこんなに怒っている理由も聞かずにクラス全員の前でそのように叱りつけることこそ、暴力のようなものではないか、と帰って母に泣きついたが、そのとき母に何と言われたか覚えていない。おそらく私の味方はしてもらえなかったと思う。以降、手を出すことはしなかった気がする。悔しかったからだ。

まあ要するに、典型的に自分と他人の境界をわかっておらず、疎まれたわけだ。
悲しい思い出だし、そんな思いはこれ以上誰かにしてほしいとは思わないが、その時期こそが私の思考を育てた。

もともとおしゃべりだった私が、物理的に学校でおしゃべりする相手がいなくなり、頭の中で1人でおしゃべりするようになった。それが思考だとは思ってもいなかった。

そうすることで、前述したように、なぜ自分に友達がいなくなったのかに気づくこともできた。

小学校のバザーを一緒に回る友達がいなくて、係でもないのに体育館の片付けを手伝ったらえらく褒められた。友達がいなくても自分がまったく必要とされないわけではないとわかった。

とはいえ、1人が寂しくないはずはなかった。
毎朝毎晩、目を瞑って同じ方角を向いて、「今日はいじめられませんように」「友達と仲良くなれますように」と祈っていた。友達なんていないのに。
毎日使うブラシに、友達運UPのオレンジ色のシールを貼っていた。

休み時間が嫌いだった。
友達のいない私は、することがないし、誰かの内緒話が耳に届いてしまうのを恐れ、読書に熱中していた。
読んでいたのは青い鳥文庫の「黒魔女さんが通る‼︎」だった。
本に興味を持った男子に本を貸してから、共通の話題ができ、多少交流があった。

中学校で運動部に入り、学校内での地位こそ取り戻したものの、性格はそう簡単に変わらなかった。
いわゆる毒舌キャラとして、たくさんの人に無神経なことを言って傷つけたと思う。

その証拠に、中学時代から今も私の友人でいてくれている人は、仏のような人ばかりだ。

その痛々しいキャラは、高校・大学に行っても大して変わらなかった。
何なら、受験勉強の失敗と人間関係のうまくいかなさからより人格を拗らせていて、約束や時間を守るとか、決まった時間に起きて学校へ行く、など基本的な生活習慣でさえおろそかになっていた。

社会的ルールなど完全無視で、ただ自分の気の赴くまま過ごしてたこの時代から今も友人でいてくれている人も、同じく神のように寛大な人たちだ。

大学を留年したあたりから、少しずつ考えが変わってきた。
自らの意思で親元を離れられたことが大きいように思う。
それを含め、コミュニケーション面での成功体験が、ようやく積み重なってきたと思えた頃だ。

それまでは自分に余裕がなさすぎて、実際に認識していた世界はおそらく自分の半径1m範囲くらいしかなかった。
だから電車で化粧もしたし、食事もした。他人に興味がなく、存在しないものと思っていたからだ。

今の夫とその家族に良くしてもらったからだろうか。
この頃にやっと、そんなに世界を敵視しなくてもいいと思えた。自分が生きたい世界を見つけ、そこで生きていて良いと感じたことで、大分心が楽になった。

20代半ばに差し掛かったところでやっと、仏のような自分の友達たちと同じ視座に立てたように思えた。

子どもの頃から、おそらく自分だけ何かをわかっていないということだけはわかっていた。
人間の成長は、かけ算がわかるとかそういうことだけじゃないだろうけど、それを誰が教えてくれるんだろうと不安に思っていた。
案の定、そんなの誰も教えてくれなくて、寂しい思いや辛い思いをしてやっと、自分で見つけた。

悲しい体験自体をなかったことにしたいとは思わない。
だから今ここにこれを書いた。

でもあのときもっと担任の先生に話を聞いて寄り添ってもらいたかったとか、もっと早く正直に親に打ち明けたかったとか、気持ちの整理を手伝ってくれる人がいたら、小学校生活はもう少し楽しかっただろうとか、

これだけ子ども時代のifが思い浮かんで止まないのなら、それを活かす仕事につけばいいと。
なにも全部忘れて飲み込み、全く別の自分に生まれ変わる必要はないのではないかと思えたのはおそらく、今までに出会ってきた好きな人たちへの憧れからだろう。

私が考え続ける、書き続ける、仕事を続ける理由は、間違いなく私のためだ。
そしてそれが巡り巡って、共同体の誰かのためになると信じている。

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