「株式相場からの退場」外伝 ギャンブルトレードで2200万



(2021年に資産が2200万円を超えた時の話です。時系列でいうと、「株式相場からの退場」の1〜2年前の話になります。何分昔のことなのでうろ覚えなところがあり、金額の整合性等合わない箇所もありますが、ご容赦ください。)


新興感染症

 中国で疫病が流行ってるらしい。そんなニュースが流れた。特に気にもしなかったが、日に日にそのニュースの報道回数が多くなり、いずれ日本にも入ってくることが懸念されていた。新型コロナウィルスの発生だ。
 このときの手持ちの資金は約60万円。10年以上投資を続けていたが資金は増えず、入金しては溶かすを繰り返していた。それもそのはず、ずっと信用取引を使って3倍くらいレバをかけていたし、今よりもトレードは下手くそで、アルゴって何?だったし、需給など全くわからなかった。上がったらジャンピングキャッチ、下がったら耐えれきれず底値で売るを繰り返していた。おそらく貯金していたら400~500万円くらいはたまっていたと思う。
 ダラダラと投資、いや投機を続けてきた。損ばかりしていたが、ゾンビなりに多少は銘柄について知っていた(特にバイオ銘柄)。
 ウィルス感染症が流行る。これは大きなチャンスなのではないか?上がりそうな銘柄は何だろう?と考えてみた。


地震のときに学んだこと

 話は変わるが、2011年に東北地方太平洋沖地震が起こった。このとき、多くの銘柄が暴落したが、一気に2倍くらいになった銘柄もあった。私が覚えているのは不動テトラや五洋建設、南海辰村建設などの土木や建設会社、PS三菱などの建設器材のレンタル会社、電線や水道管などのインフラ銘柄だ。日本が大変な状態で、もうこの世の終わりだ…みたいな雰囲気になったときでも上がる銘柄があるということを初めて知った。と同時に株式市場からどこまでも金を得ようとする人間の汚さ(当時はこう思った)に愕然とした。しかし、今の自分だと直感的にわかる。地震で建物やインフラが破壊される→インフラは復旧しないといけないし、住む場所、建物も作らないといけない(=国が予算をつける)→そのための機械や器材も必要になる、といった連想ゲームだ。今ほど深くは考えていなかったが、この時の経験はコロナ発生の時に少し役に立った。

7707 PSS

 コロナに感染しているかどうかを調べるPCR検査のことが話題に上がっていた。バイオ銘柄ばかり触っていたので、PSSのことがぼんやりと頭をよぎった。確かここ、なんか検査装置作ってたよな・・・。調べてみると遺伝子解析や免疫測定などの装置を作っていると四季報に書いてあった。PCR検査装置も少ないが作っていた。当時は自社販売よりもOEM(受託製造)がメインだったこともあり、利益は伸びず財務状況は毎年赤字だった。赤字から黒字になるときは株価は一変する、もしかしたら…。チャートは2013年の2412円の高値をつけてからは下落を続け、300~400円台を横横している状態だった。本当に上がるか不安だったが、400円くらいでレバを利用してたくさん買った(約180万円分)。
 買って4,5日は横横していたと思うが、案の定少しずつ小さな陽線が連なっていった。そんな折、yahoo掲示板に私のヒーローが現れた(当時はyahoo掲示板ばかり見ていた)。知ってる人はご存知の『秋風なのに脇汗が垂れる』さん(以下、脇汗さん)だ。PSSの掲示板は落ち着いた雰囲気で、投稿は数名のいつメンに限られていた。そこにさっそうと彼が現れた。皆を元気づける投稿をしてくれた。それと同時におかしなことも起きていた。脇汗さんが投稿するたびに株価がじりじりと上がるのだ。この人は何なんだとざわざわし始めた。たまにひょっこり現れる脇汗さんを皆待ち望んだ。株価がマイナスだった日も掲示板に脇汗さんが現れるとそこから上げ始め、プラテンしていくという現象を私はリアルタイムで何回も見ていた。挙句の果てにはマスコミでPSSのことが今後報道されるようなことも予言し、そのとおりになった。まさに救世主であり、私のヒーローだった。そのときは銘柄というよりも完全に脇汗さん信者だった。投稿されたらすぐに枚数を目一杯追加した。株価は1000円を超え、さらに上昇していった。
 そんな折、決算が近づいてきたため、会社のことを調べることにした。大手マスコミで報道されたとはいえ、黒字になるほどの売り上げがあるとは思えなかった(確か日本ではまだ装置は承認申請中で販売されてなくて、コロナ用の自社試薬もできてなかった。OEM先のフランス企業の売り上げがメインだった)。頑張ってるけど赤字は脱出できないと考え、決算の前日に1500円くらいですべて売った。結果、決算は赤字だった。予想どおり。が、この時に中期経営計画も一緒に発表され、その内容が期待されると市場から評価されて株価は暴騰。3000円を超えた。売ったことを後悔もしたが、資金が今まで持ったことのない550万円という金額に舞い上がっていた。

1447 ITbook 

 脇汗さん信者になった私は、yahoo掲示板で脇汗さんをブックマークし、ストーカーした。そんな折、ITbookに脇汗さんが現れた。すぐに飛び乗った。皆考えることは同じ。株価は急激に上がっていった。マイナンバー関連ということだったがそんなことはどうでもよく、脇汗さんという人についていった。株価は2倍ほどになり、資金は一気に900万円台になった。が、そこから一気に機関にたたき売られ、株価は脇汗さん登場前を割り込んだ。途中で耐えれずに売り、資産は300万円になった。
 
 (脇汗さんがコメントした銘柄はその後も一時的に上昇することが続いたが、すぐに売りを浴びせられることも多くなった。おそらく、群がったイナゴに機関投資家や大口の個人が空売りしていると想像できた。そんな中でも2022年のWSCOPEを当てたのはさすがであり、目利き力は本当にすごい。追うことはなくなったが尊敬していることに変わりはない。気になる方はツイッターで私がフォローしている一番初めをみると脇汗さんがいます。)

4582 シンバイオ製薬

 四季報が発売され、いつものように好物のバイオ銘柄をみていた。そんな中、目に留まったのはシンバイオ製薬。利益が大赤字から、黒字に転換していた。すごいなと思って会社のホームページでIRなど調べてみた。何やら「死の谷」を超えて、薬の自社販売にこぎつけて黒字転換という話であった。四季報が発売されてからの数日間、株価は反応がなかった。大風呂敷を広げている、今までの大量印刷(ワラント)のせいで市場からは信用が得られていないということが想像された。チャートはずっと下落を続けており、そのまま消えていきそうな状態だった。私はここでシンバイオを買った。400円前後だったと思う。レバかけて総額は500万円くらい。その数日後、株価が反応しだした。大陽線ではなく、正方形に近い陽線が10日間くらい窓を開けることなくずっと続いた。市場に気づかれないような見事な上げ方だった。株価が上がったことで、本当に黒字転換するかもしれないと市場がざわざわし始め、買いが増加しだした。株価は上昇トレンドを形成し、1700円を超えた。400円台から約4倍弱。SBI証券の口座を見ると資産は2200万円を超えていた。成功者になった気分だった。と同時にこのときの私は完全に感覚がマヒしていた。というのも持っている銘柄はこのシンバイオ1銘柄のみ。レバをかけて枚数も増えていた。この先もシンバイオはずっと上がり続けるから。
 そう思っていた矢先、悲劇が起こる。


場中の上場廃止猶予期間入り

 それは突然だった。2021年3月24日。順調に推移していたと思われた5分足チャートに突如大きな陰線が現れた。その陰線は連続して現れ、何がなんだかわからなかった。とにかくその時私のメイン情報収集サイトyahoo掲示板を確認した。上場廃止猶予期間入りするという情報が載っていた。既出だから大丈夫との声もあったが、陰線が勢いよく形成されており、怖くなって下の方ですべて売った。ストップ安になる前に売れたものの、資金は一日で1500万くらいになった。


悪夢のデイトレ

 そのまま触らずにいれば・・・
 
 翌日も5分足チャートは下がり続けた。このときの私は前日のストップ安にも関わらず事の重大さを認識できていなかった。上場廃止猶予期間入り…。確かに以前のIRには書いていたが、それが現実となった。にも関わらず、危機感をしっかりと持てなかった。
 シンバイオはずっと上昇を続けてきた。銘柄に惚れるなというが、私はそれを通り越していた。立ち止まって考えることもなく脳は麻薬を打たれマヒしていた。シンバイオは下がらない、上がるものだろと。マイナスを取り戻してすぐに2200万円にしてやるさという気持ちもその後の損失に拍車をかけた。
 寄り付いてから10分経ったくらいだろうか。私はあろうことか大きな陰線が出たところで売り板にハイレバで2万株を超える買いをぶつけてしまった。確認しておくが、日足チャートは崩壊しており完全に落ちるナイフ。前日に引き続き5分足も当然落ちるナイフ。チャートが壊れた意味を理解していなかった。直近の売り板にぶつけたことでさらにアルゴも発動。一気に下にもっていかれた。すぐに損切りはできず、底値付近で耐えれなくなったところで売った。その後懲りずにもう一回参戦して資金を吹っ飛ばした。資金は900万円になっていた。体がブルブルと震え、冷汗をかいているのがわかった。このとき私は職場のトイレで隠れてトレードしていた。トイレから出た後に会った先輩に言われた。「大丈夫か?顔色悪いぞ。」


崩壊

 そこからの私のトレード人生は崩壊した。損を取り戻すマンがずっと頭をついて回った。ハイレバで買うこともやめれなかった。落ちるとこまで落ちるのは必然。ただのギャンブルだったから。1年近くかけて資産を右肩下がりに減らし続け、気づけばいつもの50万円の定位置に戻っていた。心の余裕はなくなり、毎日憂鬱な日々を送った。私のようなバカはいないだろう、そうは思ってもトレードに対する手法や考え方は何も変わっていなかった。
 そして、私は底を這いながら退場のきっかけとなったキャンバス空売り事件へと突き進んでいく。人は本当にどん底まで落ちないと変われない。もちろんそうじゃない人もいる。しかし、私が再生するきっかけとなったのは紛れもなくどん底だった。借金を背負うかもしれないという恐怖、家族にまでお金を借りなければならないというみじめさ、この先の人生への絶望。本当の痛みが心に刻まれるまで壊れなければ、神様は許してくれなかった。

(株式相場からの退場「キャンバス空売り事件」へつづく)


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