落語「がぶりもの」
《登場人物》
●若旦那 ▲一八 ★住人1 ☆住人2
□定吉 ○大旦那 ◎若旦那の女
《一八の家》
●一八 一八いるかい
▲はいよ あら若旦那 どうなすったんで
●いや 実はお前にお願いがあってね
▲何です また女ですか いけませんよ次から次に こんどは誰に惚れたんですか
●違うよ 女の話じゃないよ
▲じゃ何です あっ今度の素人芝居の打ち合わせですか
●芝居じゃないんだよ
▲じゃ何です?酒?バクチ?まさか若旦那 誰か刺しちまったんですか
●私はどこまでロクデナシなんだ 実はさ 実は 親孝行がしたいんだよ
▲親孝行?どうしました若旦那 どっか悪いんですか?
●私は元気だよ 悪いのはオヤジだ
▲大旦那が? そういや最近 姿をお見かけしませんね
●とつぜん臥せっちゃってね うんうん唸ってばかりいるんだ 医者の見立てじゃ この夏を越えられるか 五分と五分だとさ
▲そんなにお悪いんですか
●あれだけ憎いオヤジでも 弱ってるところ見るのは辛いもんだね ここだけの話 あたしゃ泣いちまったよ
▲若旦那 人の心を取り戻したんですね
●どう思ってるんだ私のこと だからさ 取り返しがつかなくなる前に親孝行がしたいんだよ
▲わかりました ここで手を貸さなきゃ男がすたる なんでもやりますよ
●本当かい やっぱり一八は頼りになるねえ
▲当たり前ですよ 若旦那のためでしたら たとえ火のそば水の前です
●中にはこないんだね いや実はさ オヤジに聞いたんだ 何でもやってやる 何が欲しい何がみたいってね そしたら何て言ったと思う?
▲何て言ったんです
●獅子舞ってんだよ
▲獅子舞?
●私も驚いた オヤジ獅子舞が大好きらしいんだ 獅子舞とそれを見て騒ぐ人たちの声を聞くだけで幸せだ しかし俺は来年の正月は迎えられないだろうな 無念だ って涙を流すんだぜ
▲へえ それほどお好きなんですか
●だから一八 ここへお願いしに来たんだよ 毎年正月あんたに獅子舞やってもらってるだろ あれを半年ばかり早めてさ どうにか明日やってもらえないか オヤジにどうしても獅子舞を見せてやりたいんだ 頼むよ一八
▲若旦那 頭上げてください お断りします
●お前 ここまで聞いて断るのかい
▲お忘れですか いまは夏ですよ 獅子舞ってのはね 冬の寒い中やっても全身汗だくになるんです この暑い中やってご覧なさい あたしの方にお迎え来ちまいますよ
●ああそう じゃあ良いよ お前に断られたことオヤジに話すから 一八は暑いからって獅子舞を出してくれませんでしたって 親父はお前を恨みながら死ぬだろうね
▲嫌な言い方だな そうだ 若旦那が獅子舞やって下さいよ 道具を一揃え貸してあげますから
●できるわけないだろ 体力がないんだよ すぐに目を回して倒れちまう それでオヤジともども死んじまったらどうするんだい 親子二代で七代先まで 祟るだろうねえ
▲嫌な親子だな どうしてもやるんですか
●屋敷と長屋の連中には話をつけた 獅子舞が来たら喜んで迎えてくれる 準備は全部手伝うしお金だって払う 私がやれるならやってるんだ だから頼む 獅子舞を出しておくれよ
▲若旦那 わかりました そこまでされちゃ仕方ない やりましょう
ってんで ずいぶん突飛な話でございます
お屋敷の前じゃ大勢の人が 獅子舞が来るのを炎天下 待っております
《若旦那&大旦那の家の前》
★あーまだ来ないのかい
☆来ないねえ
★何だってこんな暑い日に外でぼーっと突っ立ってなきゃいけないんだ
☆しょうがないだろう 大旦那きっての頼みだってんだから 中にいてごらん あとでどっかかから耳に入って あいつは薄情だって長屋追い出されちまうよ
★わかってるよそんなこと だから待ってんじゃないか ああ暑い
☆そういうなよ まあ これでも飲んで
★なにこれ
☆ホッカホカの甘酒だよ あったまるよ
★バカじゃないの なんで獅子舞に合わせるんだよ ああもう暑い暑い
☆そう文句ばかり言うなよ 番頭さんなんか偉いぞ 雰囲気が出ないだろうって言って この暑い中 きっちり羽織はかまだ
★よくやるねえ あの人マジメだからなあ それで 番頭さんどこにいるんだい
☆さっき目ぇ回してぶっ倒れた
★ほれ見ろ このままじゃ病人が増える一方だよ 早く来てくれないかね
と ようやく 獅子舞が口を開け閉めしながら よろよろとやってきた
★ああ来た来た来た 苦しそうだねえ 酸欠の金魚みたいだ
▲お おまたせ いたしました
★一八さん あんた大丈夫かい べつに獅子頭とってもいいんだぜ
▲そうもいかないんで あんまり暑いもんで私 ふんどし一丁なんですよ
★ほんとだ 生足だね ご苦労なこったなあ 若旦那は
▲着付けから何から手伝ってくれまして 私んち戸締りして 後から来てくれます
★ああそう 若旦那来るまで待つか?
▲いえ もう始めましょう 一刻も早く始めましょう 金物が熱いんです
★命がけだね 早くしよう 定吉 定吉はいるかい
□へーい
★獅子舞が来てくれたよ 噛んでもらいな
□私が? なんでですか
★えーと ほら 今年一年の健康のためだ
□今年って もう半分がた終わりましたよ それにこの獅子舞 気持ち悪いです 風呂敷が汗びっしょりで色変わってるし 足取りもふらふらしてるし 祟りそうですよ 近寄りたくないです
★お前は薄情な丁稚だねえ 当家の主人のためだ 噛まれろ噛まれろ
□うわうわうわ わーっ 汗臭いよお
大騒ぎでございます 門前でどたばたやっておりますと奥のほうから 臥せっているはずの大旦那 壁に手をついて 表へ出てまいりました
▲あ 大旦那だ 大旦那!見てください大旦那 大好きな獅子舞ですよ 思う存分ご覧ください よかったなあ 元気になったんですね 大旦那!
○(絞り出すように)うるせえ うるせえ!
▲様子がおかしいよ どうなすったんで
○人が布団でうんうん唸ってたら いきなり表でバカ騒ぎ 旦那ぁ獅子舞が来ました とヘラヘラ笑ってやがる この真夏に獅子舞だと 皆して弱った俺をおちょくりやがって 俺はなあ 昔っから怒ると元気が湧いてくるんだ お陰で腰が立った 礼を言うぜ お前ら全員 生かしちゃおけねえ
▲いやいやいや ちょっと待ってくださいよ うれしくねえ治り方だなぁ 俺たちは大旦那が獅子舞が大好きだって聞いたからね 元気を出してもらおうとね
○おい待て 何を寝ぼけてやがる 俺は獅子舞ってもんが この世でいちばん大嫌いだ
▲嫌いなんですか
○反吐が出るよ 何で正月さなかに出て行って 外で待たなきゃいけないんだ それで何が起こるかって キグルミが子供泣かせるの見るだけじゃねえか 何が面白いんだ 何の意味があるってんだ あと色と匂いと形が嫌いだ
▲全否定じゃないですか いや 俺たちは大旦那が 明日をも知れねえお命だって聞いて
○さっきから何をほざいてるんだ 誰が死にかかってるってんだ 夏風邪で死ぬほど俺はモウロクしちゃいないぞ
▲ええ 何から何まで聞いてた話と違うじゃねえかよ どうなってるんです若旦那 若旦那?おい そういや若旦那はどこだ?
《一八の長屋》
◎ねー
●なんだい
◎ここ人の家なんでしょー いきなり帰ってきたらどうするのー
●帰ってこないんだよ 棟梁はいま獅子舞に入ってるからね
◎ちょっとー 大きな声出したら この長屋の人に怒られちゃうよー
●怒られないんだよ 長屋の連中はみんな 獅子舞を見に行ってるからね
◎やだー なんでそんなことしたのー こんな暑いのに かわいそうじゃーん
●お前を家に呼べなくなった俺のほうがかわいそうだろ? くそ親父が寝込みやがって 家に居ついちまった だから一芝居打って お前と会える場所を作ったのさ
◎若旦那かしこーい わたしー 賢い男の人だいすきなんだー
●おれもお前が大好きだよ
◎やだ ちょっとどこ触ってんの やだー
▲(扉を乱暴に引き開けて)若旦那!あ!人の家で何やってるんですか!
●これは一八 えらく早かったね
▲何を言ってるんです やっとわかった やっとわかりましたよ あなた 女と会うために 空いてる一部屋が欲しかっただけでしょう それだけのために私も長屋の人も騙し こんな茶番仕組んだんでしょう
▲よっ 名探偵
●何が名探偵だ あのねえ 逢引なら然るべき場所がいくらでもあるでしょう こんな手の込んだマネ おかげでえらい目にあいましたよ
●ごめんよう一八 ちょっとした趣向じゃないか お前たちがいけないんだよ いっつも私のことバカにするから だからちょっと仕返ししてやろうと思ったのさ えへへ 許しておくれよ
▲ああそうですか わかりました 私は許しましょう でも私が許してもね 獅子舞が許しませんよ さあ!お入りください
一八の後ろから現れたのは獅子舞
ただならぬ気迫を漂わせ 歯をがちがちいわせております
●あ あれ 一八 この獅子舞 これ誰だい
○せがれ せがれ!
●お おとっつぁん
○一八 女連れて外出てろ ここから先は人様には見せられねえ せがれ 随分派手にやってくれたな おかげで俺はすっかり元気になったよ
●お おとっつあん やめなよ(なだめるように手を差し出す)
○(差し出された手に思い切りかぶりつく)
●痛い! うわ 歯形がついた 痛いよ
○うるせえ 礼を言うぜ 俺は今 生まれて初めて獅子舞が楽しいんだ
お前はもう生かしちゃおけねえ!
●うわーやめとくれー
《家の外》
▲やってるねえドシンバタンと 俺の家で
「もう生かしちゃおけねえ」って言うのが大旦那の口癖なんだねえ なんであんな人が世間で成功できたのかなあ あ 出てきた出てきた
○おう 終わったぞ
▲笑ってやがるよ 終わりましたか
○おう せがれの姿 見てやってくれよ
《家の中》
▲若旦那ぁ 大丈夫ですか わ 若旦那!
えっこれ若旦那ですか?どっからどこまで若旦那ですか? やたらめったら噛みつきましたね 全身が噛まれた跡だらけ ひええ
○何言ってやがる これで万事解決 めでたしめでたしだ
▲めでたしめでたしって 若旦那ボロボロじゃないですか どこが丸く収まったんです
《サゲ》
○見ろ こんなに見事に カタがついた
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